小樽教育発祥之碑

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 新しくオープンした小樽市立病院の一角、病院側に向かい「小樽教育発祥之地 小樽市長 志村和雄」と書かれた記念碑がある。

 旧量徳小学校があったこの地が、小樽での公教育がはじまったという事での記念碑だが、以前はほぼ同じ場所だが、通り側に面して建っていた。

 それが今回、新病院建設に伴いリニューアルされ、前述題字だけを再利用した新記念碑が、今度は病院に面し建立された。

 量徳小学校は一人息子が6年間お世話になったところということもあり、我が家にとってもとてもなじみ深い所だ。入学式、運動会、学芸会、卒業式、季節の移ろいと共に親子で楽しませていただいた。

 すでにその頃から1学年10数名しか児童がおらず、閉校は時代の流れの中、時間の問題と考えていた。

 さて、小樽教育発祥というのは量徳小の前身、小樽郡教育所が明治6年9月に開設されたことが由来だと、記念碑文に記載されている。140年以上前の事である。

 さらにこの教育所の前身が明治3年(1870年)に開設された「鵙目塾」(もずめじゅく)という私塾だったという。ちなみにこの私塾を起こし、一家で児童教育に私生活を投げ打った鵙目貫一郎氏は、病弱だったこともあり、明治10年(1877年)、37歳という若さで亡くなっている。

 明治維新以後、一気に北海道開拓が加速し、アメリカ西部のゴールドラッシュのように、新天地北海道に多くの人々がわたってきた。その玄関口が小樽だったわけだ。当時の小樽は活況を呈していたが、前述内地からの移住者が多く、治安も決してよくなかったという。

 そんな中でも、子供の教育は国、地域を豊かにする大きな資源の考えの基、先人たちは何もない所から、このように学校を立ち上げていったと考えると、胸が熱くなる。この記念碑を観て、自分たちの置かれている環境を改めて考えるのもいいかもしれない。

(斎藤仁)