末広稲荷

suehiro_inariA

 末広稲荷は入船陸橋の海側に鎮座している小さなお堂である。昭和50年(1975年)8月に設置された「末広稲荷由緒」というお稲荷さんの説明板によると、

 この末広稲荷は、明治17年(1884年)3月10日、小樽の有名な侠客だった「末広」こと鈴木吉五郎が、京都伏見稲荷から分霊を請い奉祈したもの。鈴木吉五郎という人は、芝居小屋の末広座を興し、小樽最初の私設消防組の創始者でもあった人情派でやり手の親分であった。明治時代のこのあたりは、花街として賑わっていた場所で、花柳界に働く人たちの信仰を広く集め、参拝人が列をなしていた。吉五郎亡き後は、人力車屋を営んでいた大畑五郎次・大畑よしが、世話を引き継ぎ、現在は、近隣有志の皆さんが保存会を作り維持管理をしている。

と記載されている。

 末広稲荷は、大切に守られながら、いまでも地域の文化財として折々の行事で、皆さんのふれ合いの場となっている。

 近くにある神仏湯のご主人は、私の高校時代の同級生大畑君のお兄さんということなので、由緒書きに出てくる大畑五郎次の血縁かも知れない。ちなみに神仏湯も明治時代より営業していたと聞いている。

 さて、この真っ赤な末広稲荷は、入船陸橋海側に塗られている錆び止め塗料の赤錆色、橋脚レンガの赤色と相まって、何とも言えない赤系三色の風情を出している。ちなみに陸橋山側は、昨年新たに塗料が塗り直され、赤錆色から濃い深緑色???となっている。海側も塗り直されると、大事な風情が失われると少々心配しているのだが・・・。

 またここは、愚息が幼稚園の頃、早朝の親子散歩で必ず小さな手を合わせていた場所である。そういえばそんな時、何度も保存会の方が、お稲荷さんを清掃している場面に遭遇していた。

 今は、息子に代わり、愛犬シーちゃんが、私のお供としてこの末広稲荷をお参りしてくれている。

(斎藤仁)