父といられる街小樽

小樽で、海の広さを知った。

父は忙しい人だった。朝早く家を出て、僕が床に就いてから帰ってくる。家族だけど、よく知らない。僕にとって、父は不思議な人だった。

そんな僕にも、父と一緒に過ごせる時間があった。日曜日、週に一度、仕事がお休みの日。父は僕の頼みを聞いて、どこへでも連れて行ってくれた。

まだ僕が幼かったある夏の日、父は僕を海に連れていく、と言って車を走らせた。札幌生まれ札幌育ちの僕は、まだ海を見たことがなかった。
父の運転する車。窓から流れこんでくる風が顔に当たる。知らない匂いがした。父は、それが潮の匂いだよ、と笑っていた。

初めて海を見た僕は、その端っこを探した。見つけられなかった。父は、どうだ、海は広いだろ、と自慢げだった。
イルカが跳ねたりはしていなかったけれど、夏空の下、とにかく広くて青かった海。僕はそれから、ずっと海が好きだ。

小樽は、街も素敵で溢れていた。キラキラしたものが好きだった僕にとって、繊細なガラス細工はお宝だった。こんなキレイなものに満ちたところがあるのか、とはしゃぎまわった。
そしてオルゴール。美しい音色を奏でる無数の木箱、これはどうなっているんだろう、僕にも作れるかな、と訊くと、父は頑張ればできるかもな、とニコニコしていた。こんなに喜んでくれるなら連れてきてよかったな、と母に言っていたのを覚えている。

辛い受験勉強を経て大学生になった僕を、父が見ることはなかった。高校生の僕、中学生の僕も、父は知らないだろう。

僕が小学生の時、父は若くして亡くなってしまった。初めて小樽に連れて行ってもらったときから、僕は父がどこに行こうか、どこでもいいぞという度、小樽に行きたい、とお願いしたものだった。そして母が、二人で、久しぶりにどこかへ出かけようかと言ったときも。

僕が小樽を思うとき、いつも一緒に父が浮かぶ。小樽の海に、街に、思い出が残っている。

美しい場所には、きっと思いがよく根付くのだ。だから小樽を訪れる人には、大切な人と、たくさん思い出を作ってほしい。僕の父が僕にしてくれたように。

(コダマ)


※本記事の内容は2021年7月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香