わすれられない忘れ物

小樽のまちの印象が、がらりと変わった瞬間があった。

それはゴールデンウィークのある日、観光で小樽を訪れたときのこと。
小樽に到着したばかりの私は、小樽を単なる観光地としか思っていなかったと思う。「色々なきれいなものがあるまち」、そのくらいの印象だった。

その印象のまま、小樽の定番観光スポットを一日かけて巡った。旅は本当に楽しく、美しいものをたくさん見ることができた。けれど、ある観光地から小樽駅までの帰りのバスに、私は忘れ物をしてしまった。

忘れ物に気がついたのは、バスが駅から遠ざかってしばらくした頃だった。私は少し落ちこみながら、バスの運行会社に電話をかけて「忘れ物を取りに行きたい」と伝えた。
すると、オタモイ車庫というところに電話をまわされた。そこは小樽のオタモイという場所にあり、バス車両を管理しているらしかった。

電話に出てくれたのは年配の男性で、強い訛りがあった。小樽で方言を聞くことは初めてだったので少し驚いたが、なぜか懐かしさと安心感を覚えた。私が札幌から来た観光客で、あと二十分後に来る電車に乗って帰る予定だと知ると、その男性は「忘れ物、手元にないと困るべ。すぐ駅の近くまで届けてやっから、あと五分だけ待っててな」と言って、私が忘れ物をしたバスの運転手さんに「駅まで戻るように」と伝えてくれたのである。

その連絡を受けて、オタモイ車庫に戻る途中だったバスはわざわざ小樽駅まで引き返し、駅の近くの事務所まで私の忘れ物を届けてくれた。男性との電話を切ってから五分もたたないくらいの出来事だった。電車にも余裕で間に合うことができた。

私は心から感動して、オタモイ車庫の男性にすぐにお礼の電話をかけた。すると男性は、あの懐かしさを感じる温かな訛りで「小樽、来てくれてありがとうね。また来てな」と言って、電話を切った。

その瞬間、私の目に映る小樽のまちが変わった。
単なる観光地の景色として見ていた小樽のまちが、急に親しみを持って、そして優しさを持って、温かく色付いて見えたのだ。

なぜ小樽というまちは、これほどまでに人の心を惹きつけ、訪れる人々の心にノスタルジックな郷愁を思い起こさせるのか。その理由がはっきりとわかった瞬間だった。
観光の最高の楽しみは、その土地の人とのふれあい、という人も多いが、小樽はまさに、そんな旅ができるまちである。

(ほの)


※本記事の内容は2021年7月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香