札樽国道開通記念碑
札樽国道開通記念碑は、柾里交差点から300mほど札幌寄り海側にある朝里パーキングエリアに設置されている。
元々この記念碑は、張碓トンネル朝里側入口に札樽国道が開通した昭和9年(1934年)6月、当時の朝里村が建立している。
平成10年(1998年)より始まった国道5号線4車線拡幅工事に伴い、張碓トンネルの海側に新張碓トンネルが開通し、この記念碑は中央分離帯に移設されたのだが、平成12年(2000年)、現在地に再移設されて今に至っている。
今回、この記念碑の写真を撮るためだけに、はじめて朝里パーキングエリアに車を停めた。ここは、大型トラックが停まっているのをよく見る所で、小樽市内から札幌方面に進む車にとっては、単なる通過点でしかない所なので、あまり馴染みがない。
記念碑はさすがに80年以上の風雪に耐えて来た風貌である。再移設された時に台座が新設され、国道を管轄する北海道開発局により、札樽国道開通に関する趣意書きが記載されていた。その最後には、交通安全を祈念してここに移設すると結ばれている。
小樽-札幌間に鉄道が敷かれたのが明治13年(1880年)。それから54年という年月を経て、やっと現在の形に近い国道が開通したのである。
私は、札樽国道開通当初の白黒映像を見たことがある。昭和8年(1933年)発足の小樽ロータリークラブが翌年の夏、創立総会祝賀会を越中屋ホテルと和光荘で開催していた映像にそれは出てくるのだ。
総会終了後、越中屋ホテルをタクシー数台で出発した参加者は、その年開通となった札樽国道へのドライブを敢行している。道路は砂利道で、張碓トンネルを抜けた張碓峠で小休止してから引き返している映像だ。
和光荘に到着後、まず最初に参加者は用意された洗面器で顔や手を洗っていた。夏の砂利道ドライブである・・・。それにも頷ける・・・。
札樽国道は開通当時、国道4号線に編入されている。戦後の昭和27年(1952年)現在の国道5号線となっている。砂利道から舗装道路となるのは、昭和30年(1955年)まで待たなければならない。
(斎藤仁)