旧入船小学校

 入船小学校は、平成30年(2018年)3月末をもって、87年の歴史にピリオドを打った。
 私の母校松ケ枝中学校は、最上小学校、緑小学校とここ入船小学校の児童が入学して来る中学校だったので入船小学校出身の友だちも多い。

 最後の校長柴田眞公子先生は、この2年前平成28年(2016年)3月末に閉校した北手宮小学校最後の校長も努め、時代の流れとはいえ閉校請負人のような感じになってしまっている。この柴田校長は、私の高校の同級生でもある。

 入船小学校は、小樽の街が一番賑わっていた昭和5年(1930年)、入船尋常小学校として開校している。小樽の場合、明治・大正時代に多くの小学校が開校していたので、戦前最後から2番目として開校。現在の小樽市内としては通算23校目、当時の小樽市内(高島町、塩谷村、朝里村はまだ小樽市ではなかった)としては15校目の小学校として開校している。ちなみに戦前最後に開校したのは、昭和9年(1934年)の旧天神小学校である。

 私が小中学生だった頃は、旧校舎で木造2階建てだった。この校舎になってからは、写真体育館の裏側にグラウンドが広がっていて、息子が少年サッカーをやっていた頃、応援に来たことがあった。もう20年以上前の事である。

 中央で活躍するシンガーソングライターあがた森魚氏が入船小学校に1年生から3年生の1学期まで在学していた関係で、閉校式で生演奏を披露してくれたそうだ。

 私たちの年代にとっては、「赤色エレジー」というヒット曲を出し、超有名なアーティストだった。私が松ヶ枝中学校在学中に、同級生がこんなことを言った。

 「テレビに出ている赤色エレジーのあがた森魚は、松中出身らしいぞ。頭良くって松中から函館ラ・サール高校へ進学したんだってさ・・・」

 結果として前述したように間違いなのだが、当時は天狗山の麓にあったとされるあがた森魚が住んだ家まで、教えてくれたものだった。ただ、その場所は最上小学校校区だったので、おそらくその家も眉唾物である。

 あがた氏の函館ラ・サール高校卒業は間違いないので、入船小学校校区の松ヶ枝中学校校区に住んでいたのが、尾ひれが付いてそんな事になったのかと思っている。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。