忍路中央小学校

 忍路中央小学校は、小樽側から行くと旧忍路トンネルがあった頃は、トンネルを出るとすぐに、(新)忍路トンネルができた今はトンネルを抜け、約500mほど進むと右側に、古びた校門が目に入る。昔は立て看板もあったのだが今はない。しかし、残念なことに国道から校舎は見えづらくなっている。

 私は子どもの頃から、蘭島海水浴場や余市方面へ行くバスの中から、この校門と立て看板は何度も目撃していたのだが、いまだ校舎はちゃんと拝見したことはない。

 忍路中央小学校の沿革を少々ご紹介する。明治7年(1874年)塩谷村忍路尋常小学校として開校している。明治18年(1885年)に開校した蘭島村尋常小学校と、昭和11年(1936年)に両校を併合して塩谷村立忍路中央尋常高等小学校と改称したと記載されている。

 昭和33年(1958年)、塩谷村が小樽市と合併し以降、小樽市立忍路中央小学校となり、現在に至るということである。また、平成2年(1990年)に閉校となった桃内小学校を併合したことにより、校区が広がっている。

 小樽最初の小学校と言われている量徳小学校が平成24年(2012年)に閉校となり、朝里川温泉の豊倉小学校が令和2年(2020年)3月末で閉校となったので、小樽で一番歴史があり、さらに一番小さな(児童数の少ない)小学校となっている。

 忍路中央小学校の校区、蘭島、忍路、桃内は古くは北前船、ニシン漁、小樽軟石採取。現在は海水浴場、果樹栽培、近海漁業。時代をさかのぼれば、日本最大と言われるストーンサークルを含めた遺跡群とキーワードがいくつもあり、歴史的にも産業的にも多岐にわたってユニークである。

 また、小樽の小中高の学校名は、第一、第二などの数字や東西南北等の方角のみを使っているところはないのであるが、忍路中央小学校は小樽市内で唯一中央と名の付く学校名を、手宮中央小学校が平成28年(2016年)に開校するまで、58年間使い続けている。

 小樽市の学校再編計画では、新しい忍路トンネル開通に合わせて、忍路中央小学校の塩谷小学校への併合も計画されていると聞いているので、歴史ある忍路中央小学校が近い将来閉校の憂き目にあうかも知れない。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年3月時点の情報に基づいたものです。