未来創造高校

 最上1丁目の天狗山スキー場へ向かう一本道千秋通り沿いに、平成30年(2018年)4月に新設された小樽未来創造高校はある。ここは、令和2年(2020年)3月で閉校する小樽商業高校と、この場所にあった小樽工業高校を併合させてできた新設校なのである。

 校舎やグラウンドは工業高校と同じなので、市民としては単純に工業高校から未来創造高校に名前が変更しただけのように感じている。しかし、未来創造高校が新設された年の3月、工業高校の3年生が卒業したことにより、商業高校より2年早く工業高校は閉校となったのだ。

 未来創造高校は校章も新たになり、新しい校訓「自立・敬愛・創造」のもと、工業高校に入学した在校生2学年が新設校に移行し、4月からの新入生工業系2科、商業系2科の4間口が加わり、北海道内初の単位制職業高校としては誕生したのである。

 工業高校は亡父が退職まで勤務し、一人息子が3年間お世話になり、私もPTA役員として息子が卒業しても数年間お世話になったこともあり、この校舎には大変愛着がある。

 この機会に工業高校の沿革をご紹介する。風雲急を告げていた昭和14年(1939年)、技術者要請の急務を受けこの地に庁立小樽工業学校は校訓「至誠致力」のもと、札幌、函館、苫小牧に次ぎ道内4校目の工業学校として、釧路工業と同年開校した。その2年後に旭川工業と室蘭工業が開校した事により、道内主要都市への庁立工業学校設置は終了した。

 戦後の昭和25年(1950年)小樽千秋高校と改称し、普通科廃止に伴い昭和43年(1968年)小樽工業高校と開校時に戻したのであった。

 それ以降、樽工(たるこう)という呼び名で私たち世代以降の市民に親しまれていた。最近とんと目立たなくなったが、樽工を千秋(せんしゅう)と呼ぶ上世代の方もいた。

 さて、時間の経過とともにこの未来創造高校という小樽で初めての漢字四文字高校名が、どのような形で市民に呼ばれ、受け入れられていくのかが楽しみでしょうがない。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2019年12月時点の情報に基づいたものです。