旧高橋直治邸の石垣
この丸石の石垣は、大正時代に小豆将軍といわれた旧高橋直治邸の石垣である。現在はライオンズマンション小樽花園が建っている。ご存じのように「歴史とロマンの街小樽」と言われているのであるが、小樽が日本遺産登録を目指す講演会の中で、講演していただいた教育委員会学芸員の方から、別名「石垣の街小樽」でもあるのだと紹介があった。
そんな石垣の街小樽でも、一際異彩を放つ石垣が、ここ旧高橋直治邸に残る大きな丸石の石垣である。マンションが建つ前からこの丸石石垣の存在は知ってはいたのだが、マンション以前の建物の記憶が全くもってない。すでに高橋直治邸は取り壊されていた事だけは知っているのだが・・・。
この石垣のある通りを嵐山通りという。この通りを越えた図書館の後ろ、小樽公園の裁判所のある小高い丘を嵐山と称することからの命名の様だ。また、全国津々浦々古都京都の地名にあやかって地名を付けているところが多々あるようだが、この嵐山や嵐山通りもその一つのようだ。
この丸石石垣の上に邸宅を構えた高橋直治は、明治から大正にかけて雑穀相場で巨額の財産を築き、小豆将軍の異名を遠く世界金融の中心地ロンドンにも轟かせた稀代の相場師で、小樽初の代議士だった事は、いろいろな小樽に関する書籍に記載されている。
さて、この丸石石垣、大きな角石が13個、谷側には100個弱が見事に、きっちりと組まれている。なんでもこの石垣の積み方は玉石積みというようである。たまに一般家庭の石垣でも丸石の石垣を見る事がある。しかし、ここの石垣のように大きな丸石を使った石垣はほとんど目にすることはない。
また、普通の玉石積みは石同士をモルタル等の接着剤が見えるように固定する工法が採られているが、この石垣には石同士を連結する接着剤は見えないように工夫されている。
通常の石垣積みより多額の出費をしても良いと言う、稀代の相場師高橋直治の大変なこだわりが垣間見られる石垣である。
余談だが、水天宮下に残る旧寿原邸は、この高橋直治邸だったことが記載されている。この豪邸を売って相場資金を調達し、そしてこの地に新たな豪邸を建てたという説もあるような・・・。それぞれの建設年代、相場史の辻褄はあうのだがいかがか・・・
(斎藤仁)