洗心橋
緑第一大通りの最上町側に洗心橋はある。小樽運河に流れ着く於古発(妙見)川に架かる橋の一つである。かつてこの上部の松ケ枝町にあった南廓から、帰る男たちがせめて心だけは洗って帰ろうという気持ちを込めて付いた名前と言われている。
九州長崎にあった丸山遊廓入口に架かる、どうしようかと考えることから名付いた思案橋と良く比較される橋の名エピソードである。
ちなみに、川自体が小川なので、市外から来た人たちにとっては、橋だが道路だか区別がつかないような橋でもある・・・
この洗心橋の最上町側には、交番と消防署が隣り合って建っていた。近年、両方ともに解体されて、その広くなった土地に、中央バス最上線終点前にあった最上駐在所と、洗心橋交番が合併した新たな最上派出所が新設された。ちなみに最上消防支署は廃止された・・・。
この先代洗心橋交番に我が家は二度ほどお世話になっている。一度目は我が家が美唄から小樽に引っ越してきた昭和41年(1966年)春、小学3年生だった姉が、学校帰りに迷子になり、この交番で保護されたのだ。
当時の自宅は商大通りの商業高校前。そこから緑小学校に通っていたのだが、なぜか帰り道、逆方向の最上町方向に行ってしまったようなのだ。母は時間になっても帰ってこない姉が心配になり、近所の商店の赤電話から学校に連絡すると、すでに3年生は全員下校しているとのこと。
帰宅している小学2年生の私を一人家に残すこともできず、やきもきしながら学校からの連絡を待っていると、洗心橋交番で保護されていると学校から連絡が入り一安心。
小樽に引っ越してまだ一週間も経っていず、見ず知らずの土地でとても心細かったが、先生方のやさしい対応が忘れられないと、母は述懐している。
さて二度目であるが、それからおよそ10年後、最上町の公宅に移り住んでいた我が家であったが、ある夜、父親不在をいいことに、母が夜食に緑町までお寿司でも食べに行こうということになった。
母、姉、私の三人で勇んで千秋通りを下り、洗心橋交番を横目で見ながら、ここがおねえちゃんが保護されたとこだよねぇー、とか言いながら小走りで通り過ぎると、なんと交番からお巡りさんが二人飛び出してきて、職務質問されたのだ!!!
結局、親子だとすぐにわかり、事なきを得たのであるが・・・。母と姉は150センチほどの小柄、私は大柄ということで、夜交番の前をそそくさと通り過ぎた、中学生の女の子を従える不良少年と映ったようなのだ・・・。
その夜、中学生に間違われた母が、大いに気分を良くして、なじみの寿司屋松よしで大盤振る舞いしたのは言うまでもない・・・。
(斎藤仁)