谷平商店
谷平商店は緑第二大通り沿いにある米穀・燃料店である。三代目となる現社長は私の緑小、松ケ枝中、北海学園大学の先輩の谷平憲治さんである。
先日、憲治さんと、北海学園大学同窓会小樽支部創立30周年実行委員会でご一緒させていただき、谷平商店の事をくわしく聞き出してきた。
谷平商店は、今年平成29年(2017年)で創立96年を迎えた。先々代のお祖父さんが、緑第一大通り、現在松島医院のあるところで、薪炭屋を暖簾分けの形で開業したのがはじまりだそう。
96年前頃というと、第一回の国勢調査が大正9年(1920年)に実施され、小樽の人口が札幌より多く、北海道内では函館に次ぐ多さで、全国でも10数番目の順位だった頃と記憶している。小樽は日本有数の都市だった、そんな時代に谷平商店は開業している。
なぜに緑町かと言うと、お祖父さん曰く、近所に小樽高商(現商大)、庁立商業(現商業高校)があり、この2校の教職員向けに炭の販売を当て込んで始めたのだ。炭を背負って教職員住宅に配達していたと、憲治さんは、先々代から聞いたと言っていた。
その後、石炭の時代になり、大いに稼がせてもらったそうだ。国鉄貨車1両単位で買い付けるのだそうだが、炭鉱からの積み出しがかなりいい加減で、15トン貨車に毎回20トン以上積載されて来るものだから、通常利益とその積載オーバーの利鞘でも、儲けさせてもらったと笑いながら話してくれた。
ただ、いい事ばかりでなく、だまされることもあり、配達は多くあった馬車屋に委託するのだが、その馬車屋が顧客の石炭小屋に配達する際、現在の石油配達のようにメーターがあるわけではなかったので、最初から石炭の入った麻袋を抜いて配達する不正馬車屋もいて、難儀したらしい。
ただ、いつの時代も誠意を持って商いしないと、信用は勝ち得ないとの教訓のもと、先々代、先代と商売をして来たので、厳しい時代も生き抜いてこられたようだと三代目は言っていた。
小売業にとっては厳しい時代になってきているが、長年町内で培った信頼はやすやすとだめにはならないと確信した次第である。
(斎藤仁)