豊足神社
豊足神社は銭函駅裏の丘の上に立つ銭函地域の鎮守様、氏神様である。名称は、「とよたり」神社と読み、6月末の週末が例大祭となっている。戦前まであった旧神社格は「村社」という事が、鳥居横の神社名石碑から読み取れる。
北海道はご存じの通り明治維新以降、国策として一気に開拓が進んでいくわけであるのだが、江戸時代に人が住んでいなかったわけではない。
道南の函館、松前、江差はもちろんの事、石狩川河口付近や銭函、張碓界隈も鰊や鮭漁の漁師が住みつき、集落を形成していた。
この豊足神社の前身である尊伝稲荷神社は安永9年(1780年)に建立したと由緒書に記載されている。230年以上の歴史を有している事になる。ちなみに、小樽三大神社(住吉、龍宮、水天宮)よりも歴史があるという事である。
豊足神社には、本殿横に付設されている会館1階に和室、2階に大ホールがあり、私が会長を務めさせていただいている銭函文化団体協議会の役員会議や、民謡、日本舞踊等所属団体の稽古場としても利用させていただいていた。
また、6月末の例大祭には多くの露店が立ち並び、町内を練り歩く神輿渡御には全道各地から担ぎ手が集まり、威勢の良い掛け声とともに、銭函市民を大いに楽しませてくれている。さらに、仮設ステージでの恒例カラオケ大会では、手稲、小樽、余市方面からの参加も多く、自慢のノドを披露している。
豊足神社の境内忠魂碑隣には、旧日本軍に破壊処理された日露戦争当時のロシア軍の機雷の残骸が置かれている。なんでも明治40年(1907年)頃にオタネ浜(現在の小樽ドリームビーチ)に漂着したものらしい。長らく発見した銭函駅前の藤村家が保管していたが、昭和52年(1977年)の転居に伴い、豊足神社に寄贈され、境内に永く保存することとなった・・・、と由来書きに記載されている。
小樽では数少ない負の歴史遺産を後世へ語り継ぐため、大切に保存されているのだ。
(斎藤仁)