天理教館

 第三大通り、西病院の石垣前に天理教館はある。建物下がすっぽりと駐車場になっていて、鉄筋2階建昭和50年(1975年)築の民間会館である。ここに天理教館が建つ前は、北海屋の工場が建っていた。そう、小樽で人気のあったRCコーラ、ガラナエールで有名だったあの北海屋サイダーである。

 北海屋サイダーが倒産し、しばらくそのままに工場と建物が残っていたのだが、ほどなくこの天理教館が建てられた。後日、信者であるうちの生徒さんに聞いた話しだと、この天理教館、旧安田銀行小樽支店の建物で営業していた北海経済新聞社(漁業系日刊新聞)社主の個人寄付で建てられたとの事のようだ。

 やわらぎ、ベルコ等大手葬儀会社の斎場がなかった昭和50年代から平成にかけて、収容人数の多い龍徳寺、量徳寺など付設の寺院会館、街中にある宝泉寺やこの天理教館も葬儀会場としてよく使われていた。

 私も過去葬儀に何度かこの天理教館を訪れている。また、2階大ホールは、高校軽音楽部のバンド発表会会場としても使われていたと、昭和60年前後の話しを聞かせてくれた音楽仲間もいる。

 天理教は、江戸時代末期にできた続々と発生した新宗教の一つであるのだが、この会館は政治信条、宗教に関係なく、広く市民に開放されていたようだった。

 近年は前述市外の葬儀会社が大きな斎場を建設したことにより、市内大手の小樽典礼も自前の斎場を複数持つようになり、各地域の町内会館やこの天理教館での葬儀はほとんど行われなくなってしまったようだ。

 築40年以上が経過し、現在の耐震基準にも当然合わず、ランニングコストを含めた保全という課題が山積していると、天理教小樽支部の髙橋義清小樽支部長は、嘆いていた。

 現在、ここの大ホールは天理教小樽支部鼓笛バンドという小中学生が所属するマーチングバンドの練習会場として使われていると、そのバンドを指導している境真亮(さかいしんすけ)天理教花園分教会会長が教えてくれた。

 この小中学生マーチングバンドが小樽市内で出演する機会が余りないとの事だったので、早速8/5.6の両日に運河プラザ中庭で開催される「~真夏の~中庭音楽祭vol.2」のステージに出演依頼し、快諾頂く事となった。

(斎藤仁)