天狗山ユースホステル

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写真は天狗山ユースホステル本館である。現在このユースホステルは隣接する「山麓館」、千秋通りにある「ヴィラ・マウンテング」、ユースホステルではないが、小樽商大下の歴建を利用した「小樽ゲストハウス」の4館体制で運営している。

運営会社の天狗山ファミリー社長、横尾淳(すなお)さんは小樽南ロータリークラブでご一緒させていただいた先輩である。

ちなみに淳さんの妹、愉里(ゆり)さんは松ケ枝中学校で私の2学年上(にこうえ)、恵理(えり)さんは2学年下(にこした)で、ともにアルペンスキー中学、高校の全日本チャンピオンであった。さらに下の妹深雪(みゆき)さん、末弟志(のぞみ)君も全道、全日本クラスで入賞する小樽でも有名なアルペン一家である。

さて、天狗山ユースホステルに話しは戻り、この山小屋風の本館が天狗山ユースホステルのスタートであったと思うのだが・・・。淳さんたちのお母さんが経営していたはずだ。

天狗山スキー場にスキーヤーがごった返していた昭和40年代、天狗山には3軒のレストハウスがあった。最大規模が現在のロープウェイ乗り場付近にあったかもめハウス。
現在は滑走禁止区域となっている新旧コースからバンビコースに抜ける通称「沢」の出口付近バンビコースの中ほどに名前は忘れてしまったが一軒あった。
そして市営リフトの下にあるここ天狗山ユースホステルの合計3軒。

私たちの世代はここが宿泊施設というよりは、スキーの休憩場という感じで利用していた。なんといってもお母さんがつくるカレーライスが大人気で、冬休みや日曜日の昼時には狭い食堂空間が、中学生や高校生、一般スキーヤーで一杯になっていた!!!

その後、私は高校卒業と同時にスキーとも縁遠くなっていった・・・。
そして時は流れ、息子の小学校入学時にこの天狗山ファミリーのテングヤマスキースクールに入校させていただき、それと同時に私も10数年ぶりにスキーを再開した。

その空白の10数年間で天狗山は、中央バスによる開発が行われ、山頂にファミリーコースとレストランができ、ロープウェイも開通、バンビコースの上を削り新旧コースから直接滑り下りられるようになり、その昔上級者向けで転倒して足を骨折した患者搬送のため、毎日のように救急車のサイレンが鳴り響いていた魔の???天狗山スキー場が、大きく変貌していたのだった・・・。

(斎藤仁)