佐藤歯科
佐藤歯科は若松町の歯医者さんだ。新光町にも同名の歯科医院があったが、親戚筋ではないという。北海道に多い佐藤姓の宿命かと・・・。
現在は創設者の故佐藤修先生の長女、佐藤友美院長のもと、地域の歯科医療に貢献している。友美先生は高校の二学年下(にこした)で、同じ小樽南ロータリークラブに所属していることもあり、仁(じん)さん、ともちゃんと呼び合う仲でもある。
佐藤歯科を最初に知ったきっかけは、昭和40年代前半、先代修先生の「せいこさん」という妹さんが私の母親と同じ、緑町の北村洋裁学校に通っていたからであった。
ある日の夜中、母親が歯医者に行くと言い出した。
「歯が痛いので、せこやん(せいこさん)に電話して、歯医者のお兄さんに頼んでもらったんだ」
「これから、その歯医者さんに行くけど、一緒に行くかい」
当然診療時間外であったのだが診察を快諾いただき、小学3年生の私が、なぜか同行したわけである。
緑第一大通り洗心橋から山手循環線に乗り、入船十字街でバスを降りた。国道沿いを奥沢口近くにある佐藤歯科まで歩いてたどり着いた。外は真っ暗で、真夜中だったような記憶があるが、行きも帰りもバスが通常通り動いていたので、せいぜい8-9時位のことだったと今は思い返している。
さて、佐藤歯科では、前述せいこさんが応対してくれ、母は診察室、私は2階の応接間に通された。その応接間には何とホームバーが備え付けられていた・・・。話しには聞いていたが、実際に見るのは初めてだったので、夢見心地の別世界に迷い込んだ感覚だった。出されたオレンジジュースの味より、脳裏に焼き付いているのはカウンターと、後ろに並べられた見たことのない洋酒ボトルの数々だった。
件の話しをある数年前の宴席で、友ちゃん先生にすると、
「そういえばホームバー、確かにありましたわ。でももちろん今はありませんよ・・・。」
と意外とそっけない返事・・・。それよりも、自分の父親が時間外で診療していたことを思い出し、
「私の父は、頼まれたら断れなくて、よく夜中診てました・・・。」
と感慨深くうなずいていた。
そうだ、そっちの方が大事な話しなのに!!!
私としたら、ホームバーしか記憶に無く、佐藤歯科の前を通るとあの時の記憶がよみがえるのでした。
(斎藤仁)