旧三菱銀行小樽支店
色内町(正確には小樽市色内)北のウォール街交差点には、かつて四つ角すべてに金融機関があり、そのうち三つはおたるくらしコラムで既に書かせていただいた。満を持して最後、旧三菱銀行小樽支店について書かせていただく。
私がこの建物を知った40年以上前は、エルニーという大きな縦看板がある服飾工場であった。隣には中央バスターミナルがあり、ここを起点に市外や郊外線は出ていた・・・、と思うのだが記憶は定かでない。
山側向いの旧第一銀行が紳士服の紳装であったことから、北のウォール街をもじり、北のウール街と呼ばれていると、高校の同級生が自慢げに教えてくれたことを思い出す。
当時、小樽駅前の中央バス停車場は、現在のターミナルの向かい側、三角市場側にあり、第一次小樽駅前再開発の際、ここから駅前の現在地に移転したのだった。
エルニーが撤退した後は、中央バス第2ビルとなり、現在は小樽運河ターミナルとして観光客の人気スポットの一つなっている。1階には手作りオルゴール店海鳴楼、食べづらいが美味しいクッキーとして有名なマロンコロンのあまとう、小樽名物ぱんじゅうの桑田屋が入店し、旧金庫室は天狗山ロープウェイの観光案内やショップが入る天狗山サテライトとして公開されている。
さて、この建物の歴史を少々ご紹介しよう。旧三菱銀行小樽支店は大正11年(1922年)築の典型的な銀行建築で4階建でエレベーターを要するビルは小樽でも珍しく、そのエレベーターが残っていると小樽で一番古いエレベーターということになっていた。ちなみに昭和12年(1937年)築、ライバル三井物産小樽支店ビル(現松田ビル)の創建当初よりのエレベーターがその地位に付いている。
ここは三菱系ビルとして、2階には三菱鉱業、3階には三菱商事が入っていた。幌内炭鉱をはじめとする石狩炭田で採取された石炭が、小樽港から積み出されていた明治・大正・昭和初期、このビルで本社採用のエリート三菱マンが、好況な小樽で世界に向けての商取引を行っていた。と悠久の時を超えそんな事を考えてみるのも面白い。
余談だが、戦後、GHQにより三井、三菱、住友の三大財閥は、解体の憂き目にあい、他の財閥系銀行と同じく財閥本体の名前が使えず、千代田銀行小樽支店と名乗っていたと教えてくれたのは、隣にあった北陸銀行小樽支店の寮母さんをしていた方の娘さんだ。
(斎藤仁)