妙見堂
小樽出身のプロレタリア作家小林多喜二が、恋人田口タキと一緒にお参りデートをしたといわれる「妙見堂」は、寿司屋通りにあった小樽の老舗銭湯、滝の湯前の妙見橋を渡り、ちょっと上がった東雲町の坂にあるお堂だ。お堂の右側に開運妙見尊・鬼子母神安置「妙見堂」の立派な石碑が建っている。
もともとは、安政年間に建てられた祠(ほこら)に遡るという。その後、明治12年(1879年)、現在商大通りにある日蓮宗妙龍寺になり、お寺が大正時代、現在地に移転する際、お堂のみを残して行ったものが始まりだそうだ。
妙見堂界隈の東雲町は、北の学習院といわれた堺小学校のおひざ元で、小樽経済界の重鎮の大邸宅が居並ぶ一方、芸者置屋・見番、料亭も多く、昭和30年代までは、午後からお琴や三味線、それに合わせる小唄、長唄が聞こえてくる風情のある街だったと、昭和30年頃、堺小学校に勤務していた恩師が教えてくれたことがある。
昭和20年代に堺小学校に通っていた方の思い出話の中で、
放課後、仲良しの友達の家に遊びに行くと、お母さんが出てきて、
「○○子はこれからお琴のお稽古なのよ」
と言われたことがあるそうで、さらに図々しくも一緒について行ったことが、何度もあると教えてくれた。もちろんお稽古が終わった後、一緒に遊ぶためなのだが・・・。
まだ戦争の傷跡が癒えていない時代だったはずだが、なんとものどかな風情が感じられるお話しだった。今思えば、お琴の先生は、引退した芸者さんだったのかなあ、なんておぼろげな記憶の一旦を語ってくれた。
愛犬シーちゃんの散歩コースでもある妙見堂は、小樽市内に数多くあるお堂の中で、間違いなく一番立派なお堂と言える。それは、大正時代の最盛期、500名以上の芸者さんたちの、厚い信仰心に支えられていたからであると言われている。
この妙見堂の存在から、オコバチ川を妙見川と呼び、前述坂下の妙見橋、戦後できた川上の妙見市場、市場のたもとの妙見小僧と、妙見の名前が付く物がいくつかあるのはご存じの通りだ。
(斎藤仁)