市民会館
小樽市民会館は、国道5号線花園十字街から公園通りを400mほど上がった小樽公園内にある。この場所には公会堂が建っていたが、昭和38年(1963年)、小樽初の本格的多目的ホールとしてオープンした。
私が子供の頃は、獅子てんや・瀬戸わんや司会の「家族そろって歌合戦」、最近ではNHK「のどじまん」、「新婚さんいらっしゃい」の公開収録が行われたところでもある。
昔は労音、民音主催のコンサートが毎月のように開催され、札幌まで行かなくても、結構テレビに出ているミュージシャンに会うことができた。
私が見た中で思い出されるのは、前で若い女の子が財津さーん、姫野さーんとキャーキャーうるさかった「チューリップ」、開始はリハで遅れる、ライブもサッサと切り上げた矢沢永吉の「キャロル」、超満員で通路に座って観た「チェリッシュ」、考えられない声量だった「上条恒彦」、Charがバックギタリストとして帯同した「NSP」、オンリー・ユーなど往年の名曲を歌った時と全員入れ替わっていたが、コーラスは一級品だった「プラターズ」
デビュー当時の「松山千春」は玉光堂から依頼された、警備のアルバイトだった、赤い鳥から分派した「紙ふうせん」も見に行った。
また、「あしたのジョー」の尾藤イサオ、「悲しみは駈け足でやってくる」のアン真理子主演のミュージカルを見たこともある。題名、内容はまったく覚えていないが・・・。
劇団四季の「コーラスライン」は素晴らしかった。
私も何度がステージに出演させていただいている。本業の社交ダンスでは、カラオケ教室発表会のゲスト、小樽市歳末チャリティー演芸会のゲストに呼ばれたことがあった。
忘れられない最初にステージに上がったのは、中学3年秋の市内中学校器楽演奏会。松ヶ枝中学3年生がクラス毎に1曲披露させていただいた時だ。私たちのクラスは運動会でお馴染み「天国と地獄」を演奏し、コントラバスで参加した。
2度目は、高校3年の時、ロックンロールバンド「六本木ケントス」の全国ツアーの前座で出演した。1216名収容の市民会館に10名足らずの観客しか集まっていなかった・・・。こんなこともあるんだと、逆に感心した記憶がある。
(斎藤仁)