外人坂

gaijinzaka

ここが外人坂という名前と知ったのは、北海道新聞小樽版に掲載された、コラムからであった。だが、そのずっと前から、このすごい急階段坂の存在は知っていた。

外人坂の由来となったドイツ人貿易商コッフさん一家が、昭和25年頃まで住んでいた家は、後に高校の後輩高山君の家となった。この界隈はお屋敷町で、彼の家も南小樽の大きな繊維問屋だったはず。その会社は時代の流れと共に札幌の桑園に移って行ったと聞いているが・・・。

私は大学生の時、仲間を集め草野球チームを作った。小樽市内に300を超える草野球チームがあった時代である。そのメンバーは仲の良かった同期の柔道部、硬式野球部、軟式野球部から腕に覚えのある野球小僧を集めた。その中に現役高校生の高山君を助っ人として入れたのだった。

彼は、菁園中学野球部主将を務めたほどの野球少年だったが、高校ではご両親の意向もあり、甲子園を目指す硬式野球部には属せず、できたばかりの軟式野球部で週1-2回楽しんでいた。

初めてのチーム練習帰り、彼を送る役目となった私は
「高山、お前の家、どのへんだ送るぞ」
「はい、ありがとうございます。水天宮の裏です」
彼の水先案内で、水天宮の周囲を相生町側から回り送って行った。
「そこを左に曲がってください。この道の突き当りが我が家です」
「おい高山、それよりこの突き当りの坂、すごい勾配だな」

こんな会話をした記憶がある。36、7年前のことであるが・・・。これが、私が外人坂を初めて見た時であった。その前にも、この道を車で通ったことはあったが、坂の存在には全く気付かなかった。

後に、この界隈花園町に居を構え、子供との朝の散歩や、愛犬の散歩コースの一つとして私の身近に外人坂は存在している。さあ、雪が解けたら今年も123段をかけ上がるぞ!!!

(斎藤仁)