想
昭和57年。
初めてのひとり暮らしは、花園町の3畳一間のアパートだった。テレビも電話もなかった。
すぐそばの「大王ラーメン」の常連だった。
嵐山の「みよしのギョーザ」が今の体格の基礎となった。
ガード下の「村さ来」で夢を語り合った。
「コロンビア」で何時間も粘った。
「妙見市場」のオバチャンが優しかった。
花園町から地獄坂を登って学校に行くのが億劫になった。
「パチンコフレンド」にはスマートボールがあった。
久しぶりに会った友人に、何で試験に来なかったと言われ、その日が試験日だったことを知った。
孤独で怠惰な生活の中で、ひとりで食べた「五香」の中華丼の大盛りが心に沁みた。
少しでも学校の近くへと富岡荘へ引っ越した。
引っ越しを手伝ってくれた友人に「金寿司」をご馳走した。
バイトで小金持ちになった時は「栄六寿司」へ行った。
出掛ける時も鍵をかけなかった僕の部屋は、いつでも誰でも出入りが自由だった。
男同志で「叫児楼」には行きたくなかった。
合コンではひたすらタバコを吸っていた。
初デートは「松竹ボウル」だった気がする。
「VeeJay」に行った時、東京かと思った。
「六ペンス」のJBLにあこがれた。
ドラムのペダルを買ったのは「光栄堂」だった。
レコードを買うお金がなかったので、「玉光堂」には行かなかった。
コンパは「三河屋」か「まちの」だった。
「マルジェナオ」には間違いなく行っているが、行った記憶がない。
追いコンで、卒業していく先輩に優しい言葉をかけられ泣いたのは、「はつ花」の2階だった。
「一番」のラーメンが世界で一番美味いと思っていた。
と言いつつ、「まるた」の味噌ラーメンが大好きだった。
と言いつつ、飲んだシメは「福富軒」の味噌ラーメンだった。
初めて「なると」に行った時は驚いた。
「金太」で煙まみれになった。
「北洋亭」にはご迷惑をおかけした。
「スナック森」でカラオケを覚えた。
「魚一心」の刺身と熱燗で大人になった気分を味わった。
いいだけ飲んだ後の夜明けの「ジーパン」で、友人たちと裏メニューのあんかけ野菜炒めを喰ってる時、こいつらは一生の友達だと思った。
留年するとは思ってなかった。
貧乏学生の味方の「はれるや」に行けないほど貧乏だった。
「ニューギン」の100円カレーにはお世話になった。
「高尚湯」へはたまにしか行けなかった。
学校にいた時間より、「国士無双」にいた時間の方が長かったと思われる。
卒業してからも「一心太助」で同期会を開いていた。
プロポーズは「暮六つ」だった。
想い出は尽きない。
ありがとう、小樽。
これからも、よろしく。
(みょうてん)