小樽の冬
小樽の冬は厳しい。
その厳しさを、僕は身を持って知っている。
そして、僕の知るその「厳しさ」と同じ体験をした人は、恐らくいないであろう。
昭和57年から4年間、僕は「富岡荘」という稀代の木造オンボロアパートに住んでいた。
風呂なしなんて当たり前。
共同玄関、共同汲み取り便所、共同流し、そして全ての灯りが裸電球という、昭和30年代の香り漂うアパートだった。
建物自体も、その当時で築50年と噂されており、その間に増築に増築を重ねたらしく、廊下にカーブがあったり、同じ2階なのに階段があったり、「開かずの間」と言われる謎の部屋があったりと、実に奇妙なアパートだった。
そして、なんと、部屋の窓が「1枚窓」だった。
30年前だけども、それでも北海道の住宅は2重窓が当たり前だった。
そんな中、威風堂々と1枚窓である。
だもの、冬になると、オンボロアパート内の温度なんか、外と大した変わらない。
とにかくツラかったのが食器洗い。
寒さに震えながら共同流しに立ち、「よっしゃ!」と気合を入れ、氷水のような水道水で食器を洗い始める。
が、あっという間に我慢の限界がくる。
そして、途中で部屋に戻り、体を温め直し、再度気合を入れ食器洗いに挑む。
こうして、ようやく食器洗いは終了する。
・・・・
ある冬の夜、寝ていると「ガタン」と音がして目が覚めた。
なんと、猛吹雪のせいで、窓ガラスが外れて床に落ち、部屋の中に吹雪が吹き荒れていた。
放っておくと、部屋に雪が積もってしまう。
僕は寝間着姿で猛吹雪を全身に受けながら、窓ガラスをはめた。
これがなかなかはまらなくて、泣きそうになった。
僕の人生の中でこれが最も寒かった体験である。
・・・・・
あの悪名高き、共同汲み取り便所。
冬になると豪雪のため、春までオンボロアパートにバキュームカーが来れなくなる。
だけど、溜まるものは溜まる。
そして、凍る。
そして、その氷が限界まで来た時、2階の便所は使用禁止になる。
それでも1階の便所は使えた。
だけど、それはトンカチのおかげである。
なぜか、それは皆さんで考えていただきたい。
・・・・・・
大学を卒業する最後の年の冬、僕は、富岡荘内で引っ越しをした。
別に引っ越しなんかしたくなかった。
だけど、仕方なかった。
朝起きたら、部屋の中に「つらら」が下がっていたんだも。
ビックリして、大家さんに言った。
すると、
「ああ、昨日、屋根の雪下ろししたんだよね。穴開けちゃったかなあ。」
と答えた。
のんびりしたいい大家さんだったなあ。
てな感じで、僕は小樽のオンボロアパートで4年間の学生生活を送った。
そして、オンボロが故、誰もしないような経験をした。
小樽の厳しい冬も身を持って知った。
だけど、僕は心のどこかでそれらを楽しんでいた。
もう決して2度とできないあの生活。
あの4年間は、今でも僕の心の糧になっている。
(写真は、卒業してから数年後に富岡荘を訪ねた時のものです。右上に写っている窓が僕の部屋でした。富岡荘は、これからまもなくして取り壊されました)
(みょうてん)