竹鶴夫妻と花銀スイーツ
わたしが子どもの頃、古い酒屋さんの店先にかかった看板に書かれた、
「ニッカウ井スキー」の文字。
「どうして”イ”の所だけ、漢字なんだ!?」
わけのわからない強烈な違和感がわたしの心の奥底にこびりつき、それがそのままニッカウヰスキーに対して、細く長く関心を持ち続けるきっかけとなった。
その後父に誘われ、余市のニッカウヰスキー会館に初めて遊びに行ったとき、会館入り口の右側にお堀が広がり、お堀を挟んで向こう側に石蔵が並んでいた。わたしはその光景を見て、「まるでお城みたいだ」と感じたことを思い出す。
会館2階の試飲コーナーにて、父はアップルワインを買っていた。わたしも興味を持ったが、当時はまだ子どもだったから、
「早く大人になって、アップルワインの味を知りたい。」と思ったことさえ思い出す。
そして成人を迎え、念願のアップルワインを飲む。その味はまさに、
「蜜の味」といえるほど甘美なものだった……。
それから時は流れ、タクシードライバーになってからおたる案内人マイスターの認定を受けた時、会社の先輩の助言により郷土史のフィールドワークを始め、その一環としてニッカウヰスキーの余市醸造所をじっくり見学したとき、竹鶴政孝・リタ夫妻の生き様を知り始めるきっかけを得たのだった。
さらに時は流れ今、ニッカウヰスキーは
「竹鶴政孝生誕120周年、創業80周年、連ドラ”マッサン”クランクイン」
と、節目と旬が同時に来たことで、ノリにノッている感がある。
そこでふと、こんな疑問が生まれた。
「竹鶴夫妻と小樽との接点はどこにあるのだろう?」と。
そんな折、わたしは長男にせがまれ、松ヶ枝町の「ルナパーク」に食事に行くと、マッサンのポスターがデカデカと飾られていた。
「アップルワインこそ、ニッカウヰスキーの原点よ。」
とママさんが力説していたことを心に留めてから数日後FMおたるで、小樽商大の高野宏康先生が竹鶴夫妻の小樽での足跡をたどっている話を聞き、その中で米華堂さんによく立ち寄り、アップルパイが政孝のお気に入りでリタがよくお土産に買っていたという話を聞いた。
さらに翌日の道新で、館ブランシェさんが竹鶴夫妻の愛したシュークリームとアップルタルトを再現し、商品化へ向けての取り組みが紹介されていた。
ここまで来た時、わたしの心の中で、ニッカウヰスキーにまつわる思い出、体験、伝聞が一直線につながり、ブレイクスルーしていくのを感じた!そして、
「竹鶴夫妻の初心の結晶と、竹鶴夫妻の小樽での足跡がランデブーした図」
を写真にしたいと思い、「シングルモルト余市」と「アップルワイン」をチョイス。
今や世界で唯一無二となった石炭直火蒸留法により生み出された逸品と、ニッカウヰスキー第一号より2年早くデビューし、ウイスキーの熟成を待つ大日本果汁の窮状を救うのに貢献した、縁の下の力持ち。
ニッカウヰスキーの前身・大日本果汁は、ウイスキーの熟成を待つ間、リンゴジュースを売ることで当面の収入を確保しようともくろんだが、輸送事情の悪さ・大衆の嗜好とのミスマッチによりだぶついた在庫の返品が相次ぎ、その返品ものを発酵・熟成させて生まれたのがニッカアップルワインなのだ。
いよいよ写真撮影当日。雪が舞っていたが、かえって絵になりそうだ。
会心の一枚を撮り終え、米華堂さんでマッサンお気に入りのアップルパイを入手。
夕食後、家族みんなでありがたくいただいた。
リンゴ果肉の下にカスタードクリームが入っていることに妻が驚き、小3の長男はもちろん、離乳食の次男もパクパク食べる。
今度は館ブランシェさんの力作も楽しみだ。今から待ち遠しい。
より大勢のお客様が、竹鶴夫妻の足跡をたどりにこの花園銀座街へとやって来ますように。
そう願う今日このごろなのだ。
(轟 拓未)