キャバレー現代
平成22年、静屋通りにあった「キャバレー現代」の建物がとうとう解体されてしまった。当初は移設して保存すべし、などと言われていたが、あの解体の仕方だと保存はちょっと無理だろうな、と思っていた。
昭和40年代、「ニューモンパリ」「ルンバ」「ミスターダンディー」が小樽の三大キャバレーと言われ、いずれにも50名以上のホステスが在籍していた。何百人というホステスを抱えていた札幌ススキノの三大マンモスキャバレー「エンペラー」「ミカド」「クラブハイツ」(ご存知のように、今はいずれも営業していない)とは、比べものにならないが、小樽の経済規模からすれば、大きな規模である。
「キャバレー現代」は小樽三大キャバレーの中には入っていなかったが、伝説のキャバレーと言われていた!!! 伝説にしたのが村松友視の小説「海猫屋の客」で登場したことと、高齢、いや超高齢のホステスさんが多く在籍していたことであった。
本当かうそか、ホステスが全員60歳以上だとか、70歳、いやいや80歳のホステスがいるとか・・・、お化け???がいるとか・・・。
初めてのお客さんは、ホステスさんを見て、まず固唾を飲んだという。しかし、摩訶不思議なことに、懐かしい小樽弁丸出しの「お姉さま」たちに、3分もすれば慣れた。「お姉さま」たちの生きざまを感じさせる懐深い会話に誰もが魅了された。
昔、キャバレー、クラブ、スナックの違いを聞いたことがある。キャバレーはホステスさんが接待をし、生バンドが入り、ダンスもでき、時にショーも開催する。クラブはホステスさんが、ボックスで接待する。スナックはカウンター越しの接待のみ。こういうことらしい。もちろん、明確な規定があるわけでもなく、ご存じの方もおられると思うが、お互い似ているところも多々ある。ただ、法律で言うキャバレー営業だけは、風適法(風営法)の許可を、警察から得なければならず、クラブ、スナックに比べ大きな規制が実際にあるようだ。最近では、キャバレーは「キャバクラ」にとって代わられ、キャバレーという言葉自体、死語になりつつある。
さて、この「現代」の建物、もともとは、祝津のニシン漁三大網元の一つ、白鳥家の別邸として明治42年に建てられた。ちなみに、三大網元とは、この白鳥家の他、ニシン御殿として保存されている青山家、それに、数年前まで祝津に末裔が住んでいた茨木家のことである。
残念ながら、私には、キャバレー現代に行く機会がなかったが、私のまわりには、店の晩年まで、バンドマンとして働いていたり、なじみの客として通っていた知人が2、3いる。
ダンスやバンド演奏に関係のある職業に携わる私としては、イベントのできる建物の解体は残念至極である。もっとも、古い建物の維持管理がきわめて大変であることを考えれば、勝手なことは言えまいが。
このような写真で楽しむのが、唯一の救いかと思う・・・。
(斎藤 仁)
写真:小樽昭和ノスタルジー(ぶらんとマガジン社刊、224-225ページ)