朝里の坂

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 小樽は坂のまちとして有名だ。坂をのぼりきった後の景色の美しさに感動する事が、他のどのまちよりも多いはずだ。山や坂から見た、海と空と小樽の町は、心を大きく動かす。

 私は、中学生の頃に、小樽の朝里と新光の坂を全てのぼった事がある。地理の授業の課題で、地元のまちについて、自由に地図を作るというものだった。私は、小樽といえば坂だという短絡的な考えで、8年前の真夏に地元の朝里と新光の坂を全てのぼった。

 調査の内容は、坂を全て歩いてのぼり、歩数と時間と疲れ具合を調べ、地図を作成するというものだった。当時はやっていたキックボードに乗り、ペットボトルを片手に、目的の坂まではりきって行ったことを覚えている。坂につくと、キックボードを坂の下に置き、ストップウォッチを持ちながら、一歩二歩…と数えながら、坂のてっぺんを目指した。坂の途中では、決して立ち止まらなかったし、ペットボトルにも口をつけなかった。こうして、のぼりきった後に、ぎらぎら輝く太陽を浴びながら、見下ろす小樽の景色は格別だった。

 何十もの坂が調査対象だったが、最後にのぼる坂は決めていた。それは、私が生まれてから何度も何度ものぼった、この○○坂だった。

 私が小さい頃、この坂は、思う存分母に甘える事の出来る場所だった。
 とても急で長く感じ、のぼる時は、いつも母におんぶをしてもらい、母の背中の上だった。母におんぶをしてもらう事が大好きだった私は、この坂にくると、おんぶしてもらえると知っていたので、この坂が大好きだった。

 少し大きくなると、この坂は、私にとって、はじめての挑戦がたくさんつまった坂になった。
 私は、おもちゃのスキーではじめてこの坂を滑った。晴れた冬の日に、父に背中を支えられながら、この坂を滑ったのだ。下の方まで行き、滑りきったと思った、その瞬間に転んでしまい、大泣きし、父はその横で、雪だるまのようになった私を見て笑っていたことを覚えている。
 次に、その冬が明けた春には、補助輪のついていない自転車でこの坂を下った。確か、坂でのブレーキの使い方を学ぶために、嫌がる私を無理やり、両親に連れて行かれたのだ。この挑戦は、スキーとは違い、最初から成功し、大喜びをしていたらしい。

 そして、小学生の頃は、この坂で友達と大喧嘩をした事がある。
 毎日一緒に学校に通っていた男の子に、冬に背中を押されて、転んだことが原因で喧嘩になった。負けず嫌いだった私は、なんと、背中を押し返し、雪玉を投げつけ、そのまま男の子を置いて、家に帰ってきたのだ。その次の日、お互いにあやまり、無事に仲直りした。いまもその男の子とは、仲が良く、この坂が作ってくれた縁なのかなぁと、ふと思う事もある。

 そして、中学生になると、この坂は秘密の坂となった。 
 私は、下校途中のこの坂で好きな男の子と何度も電話をした。家に近づくと、家族にばれてしまうからという理由で、電話が長くなった時には、この坂を何度ものぼったり、おりたりしながら、会話した。ここでドキドキしながら話した会話の内容は、今でもはっきりと覚えている。

 高校生では、この坂をのぼりながらよく考え事をした。
 主に大学受験の事だったと思う。成績が思うように伸びず悩んでいた時に、ここから見える夕焼けをみると、心がスーッと落ち着いたこともあった。そして、生まれ育った町を一望すると、不思議とパワーがわくこともあった。

 そして、いま。私にとってこの坂は、思い出の坂だ。
 この坂をのぼると、これらの小さい頃からの思い出が頭の中に走馬灯のように駆け巡る。何度も何度ものぼったこの坂に、そして、ここから見えるこの町に、胸をはれるような人間になろうという思いが湧き上がってくる。

(いぬ)