小樽は銭湯の街
小樽は銭湯の街であった。いや、今も銭湯の街である。軒数では、札幌に敵わないが、人口比で比べると小樽と室蘭が全国1,2位を争っている。どちらかの街で、一軒廃業すると1位を明け渡すという状態が、近年続いている。現在、小樽公衆浴場商業協同組合加盟銭湯が11軒ある。最盛期の1960年(昭和35年)頃は、80軒以上あったというから驚きだ。
高度成長期、家庭内風呂が増え、オイルショックによる、燃料代高騰などが、銭湯減少の理由付けとされている。また、近年、全国的にスーパー銭湯(銭湯と健康ランドの中間的な公衆浴場)の台頭も一因かと考察する。
私が小樽に来た昭和41年、我が家があった商大通り旭展望台入口付近からは、緑第二大通りの高尚湯が一番近かった。たまにであるが、親とではなく、近所の友だちと、石鹸箱を手ぬぐいでくるみ、銭湯通いをしたものだ。
当時はいくらだったんだろう? たしか10円か20円。そんな時代だった。時に、緑第一大通りの緑湯、朝日湯、松の湯に遠征することもあった。
子供にとって、銭湯は憩いの場所だった。それこそ裸の付き合いができた。ただ、口うるさい頑固親父が、居る時は憂鬱になったものだ。
「おじさん、水くべて(足し増しして)いいかい」
「ぼうず、この熱いのが、身体に良いんだ。男なら我慢して入れ」
「ちゃんと、身体洗って入れよ。だめだ、肩までつかれ、百数えてから上がれや」
湯船の縁に腰掛け、足湯状態で友だちと話しているのが、好きだったのに、41-2度の高温に、汗だくになり、顔を真っ赤にしながら、肩までつかっていた。でも、今思うと、親なり、知らない大人たちに、社会の規範、ルールを知らず知らずのうちに、銭湯で習っていたように思う。
さて、愚息が幼稚園から小学校低学年の頃。およそ20年ほど前のことであるが、2人で市内の銭湯を入浴行脚したことがある。まだ、市内に30軒近い銭湯があったころだ。
なにしろ花園町の、自宅マンション東西南北徒歩圏内に、5軒の銭湯がまだあったのだ。山田湯、三富湯、大正湯、だるま湯、神佛湯である。今では、大正湯と神佛湯しか残っていないが。写真は大正湯である。
ちょっと足を延ばすと、滝の湯、京の湯、鹿の湯、小町湯、潮の湯、公園湯があった。結局、30軒すべては入りきれなかったが、子供との楽しい思い出だ。
現在の社会・経済情勢の中、商業ベースで考えると、銭湯が生き残るのは、並大抵の事ではないと思う。しかし、たまに、手ぬぐい一本たがえて、あの懐かしい富士山の描かれた壁面を見ながら、大きな湯船に浸かるのも一興かと思う。
(斎藤仁)