三馬ゴム
小樽で三馬(みつうま)と言えば、ゴム長のスーパーブランドだ。現社名は㈱ミツウマということだが、やっぱり三馬ゴムという呼び名がしっくりくる。
戦後、ゴムの統制が外れ自由経済になると、勝納川沿いの奥沢町は、最盛期ゴム長会社6社、下請けも合わせると、4000名を超える一大ゴム工業地帯を築いていた。現在はミツウマと第一ゴムを残すのみだが、古いかまぼこ型の工場はいまだ健在だ。
小学3年の時、小樽市内バス見学で三馬ゴム工場を見学した。生ゴムの塊を処理する工程は、忘れられない経験だった。
道産子、小樽市民にとって、誰もが年中履いている、生活必需品ゴム長が、一躍全国の一部の若者に、脚光を浴びる事件があった。
深夜放送オールナイトニッポンで、昭和50年代に松山千春が、
「俺は三馬の特長を履いている」
と放送した事である。
リスナーからは、
「三馬ってなんだ、聞いたこと無いわ」
このようなコメントを寄せられ、千春が憤慨して
「お前らな、北海道では、三馬の特長だべや、三馬知らなかったら、笑われるべ」
この放送で、三馬のゴム長が有名になったという事であった。今なら、ネットで一気に広がったであろう、衝撃的な放送だった。
当時、小樽市内男子高校生、冬の定番シューズは、三馬の特長だった。パンチパーマやリーゼントで決めた、最新トレンドのツッパリ兄ちゃんが、ボンタン、ドカンのズボンの裾を長靴に仕舞い込み、ちょっと大きめの特長を、音をたてながら闊歩していた。読者のみなさんにも、それは俺だわ、って方も多いのでは。
最近は、一時低迷していたゴム長靴も、おしゃれに特化し、若い女性のトレンドに合わせた物も数多く出ているようだ。
手前味噌だが、2011年3月11日の東日本大震災の復興支援に、その年の8月、ボランティアががれき処理で、ゴム長靴がすぐだめになり、大変不便しているという情報を見つけて、私の所属する小樽ボールルームダンス連盟で、100万円分のミツウマの長靴を被災三県の連盟県支局を通して、贈呈させていただいたことがある。ちなみに、送料はすべてミツウマが負担してくれた。
この件は大変喜ばれ、小樽伝統のハイクオリティーのゴム長を被災地にアピールさせていただいた。
(斎藤仁)