轟拓未の、花銀今昔物語
今となっては昔のことだが、高校に入学したわたしは、先輩でもある兄の誘いもあって、合唱団に入団した。
今をさかのぼること、25年も前のことだった。
文化系の部活動だったとはいえ、体育会系並みに練習はハードで上下関係もなかなか厳しかったものだ。
だけどもそれだからこそ、練習後は爽快な気分で家路につくことができたのだ。
帰り道は同期の友達と、南小樽駅まで一緒に歩いて行ったのだが、わたしはそれから、花園界隈を経由して小樽郵便局の方まで歩いてからバスで帰ることが多かった。
玉光堂さんでレコードやオーディオを眺め、工藤書店さんで雑誌や本を買い、時には館さんでケーキに舌鼓。
さらには夏休みの合宿で銭湯にはまり、合宿後にはだるま湯さんにまで、はるばる塩谷から入浴しに来たこともあったほどだ。
やがて秋になり、定期演奏会の時期がやって来た。
あれよあれよという間に時は流れ、みんなで駆け抜ける様に無我夢中で歌い、気がついたら初めての定期演奏会は終わった。
その直後、先輩方に連れられ夜の花銀へ。生まれて初めて経験する、夜の繁華街。
打ち上げの会場はコロンビア喫茶店さんの二階にある貸し切りルーム。共に艱難辛苦を乗り越えて来たからこそ、感動もひとしお。
わたしは定期演奏会で泣きそびれたあとは、笑いに終始し、初めての夜の宴は終わった。
コロンビア喫茶店さんを出ると、先輩は「トン車拾うぞ。」と我々に号令をかける。
「トン車?何ですかそれは。」と聞く間もなく、彼はタクシーを止めた。トン車とはタクシーのことだったのだ。
タクシーの中で、引退する兄に聞かれた。
「これからも、合唱団続けるのか?」と。
わたしは最後まで続けると答え、顔を紅潮させたものだった。そのときの兄の笑みは、今も忘れられない。
それから幾年もの年月を経た今、わたしはトン車乗りになって、10年も花銀の移り変わりを毎晩見ている。
両親や妻子と食べに行った井泉とんかつ屋さんも、会社の仲間と入った寿々苑さんも、そしてセピア色の内装が素敵だった館さんも今はもう無い……。
今のわたしは、ベンジーさんで食料品を、米華堂さんでケーキを、工藤書店さんで雑誌を買うことが多い。
妻子と昼の花銀を楽しみ、夜は気心の知れた仲間と時々飲みにも行く。
そしてまた、明日も仕事だ。
明日はわたしのトン車で、どんな出会いがあるだろうか?
それを楽しみに、また花銀を流そう。
(轟拓未)