時を操る景色

空を覆うように生い茂った緑が優しい風に吹かれてざわざわと揺れる。耳に入る音が心地いい。下を向いて歩く私を新しいスニーカーが導いてくれたのはこの小樽公園だった。

昨今の自粛を余儀なくされる状況の下で、家に引きこもりがちになっていた私は、外の空気を吸うため目的もなく歩き出した。
ふと坂を上った先に、隠れていたかのようにベンチとテーブルが姿を現す。もしやと思った私は、歩く足を速める。

その予感は正解だった。
座ったベンチから見えた景色は、木々というフレームに収まった絵画のような海と小樽の街だった。

その時、私の中にある時計の秒針が遅くなった。大学生になり小樽という街にやってきてから、今まで流れていた時間がその景色を前にしたとき、グンと遅くなった、気がした。

思い返すと私は急いで生きていたのかもしれない。こういうと大げさにも聞こえるが、心に余裕がある生活をしていたと胸を張って言える自信はなかった。
大学進学により、高校の友人と別れを告げた。多くの友人は地元の北海道を出て、東京という都会へと羽ばたいた。

何でもある都会に過ごす彼らを少しうらやましく思っていたこともあり、早く友達をつくりたい、早く遊びたいと焦っている自分がいた。
そんな駆け足の私に公園から見た小樽の景色は「ゆっくりでいいよ」と囁いてくれた。無人の公園に一人でいる私はその声で心が和んだ。不思議だった。

たった一つの公園から見る景色にここまで心を動かされるとは。なるほど、つまりそういう街なのだ。

私は確信した。都会のようにどんな店でもあるわけではなく、はたまた人が溢れているわけでもない。でもこの自然がある。この景色がある。これがいいのだ。いやこれだけでいいのである。

木々を揺らしていた優しい風は訪れる者を包み、ベンチから見える風景がゆっくりとした時の流れを伝え、心にゆとりを持たせてくれるのだ。あの海からやってきたこの風も、あの海と空の境界線へと飛んでいくこの落ち葉も、みんな急いでなんかいないのである。

あぁ今日も課題が終わらない。そうだあの公園に行こう。

(kei)


※本記事の内容は2021年7月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香