神社と機雷

豊足神社に機雷がある。このことを知っている人は、どれくらいいるだろうか。

銭函駅から徒歩数分。踏切を超え、「坂の街」小樽の名に恥じぬ急坂を登った先にある建物。それが豊足(とよたり)神社である。
有名でも、巨大でもない。住宅街の一角にある、普通の神社。この場所に機雷が置いてあると伝えても、信じる人は少ないだろう。

私がその機雷の存在に初めて気がついたのは、小学校高学年の頃だった。授業の一環で神社の絵を描いていた時、大きな石碑の横に置かれていたものが目にとまった。

今でこそそれが機雷、すなわち水中で使用される爆弾の一種であると理解しているが、当時小学生の私が理解しているはずもない。「何か鉄の塊があるな」と思うだけで、何かを感じることはなかった。

けれど、大学生となった私が、過去の体験などから「小樽らしさ」を見つけよう、と言われた時、1番最初に思い浮かんだのが、その機雷だった。

私は疑問に思った。当時何も感じなかったはずの鉄の塊に、小樽らしさがあるのだろうか、と。だが私は自分の直感を信じ、その機雷を見に行ってみることにした。

坂を上り、鳥居をくぐって、機雷の前に立つ。住宅街と、その奥に広がる海を見下ろすことができた。それを見ながら、機雷や戦争について考えた。
私には教科書からの知識しかないけれど、その凄惨さを想像するのは難しくない。辛かっただろうな、苦しかっただろうな・・・ありきたりな言葉だけれど、そう思わずにはいられなかった。

しばらく考え込んでいた私は、電車の音で我に返った。そして、ある勘違いに気づいた。機雷が小樽らしいのではない。「この場所に機雷があること」が小樽らしいのだ、と。

住宅街、神社、海、電車。どれも身近なものだ。そんな日常の中に、壊れた機雷という非日常がある。住宅街にいながら、戦争のことや、その当時の人の思いについて考えることができる。
過去と現在が混ざったこの場所が、「小樽らしさ」だと思った。

この場所だけではない。少し歩けば、たくさん見つけられるだろう。
過去と現在、そして未来への架け橋となる、小樽の姿を。

(商大生A)


※本記事の内容は2020年8月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香