信香会館
先日、ダンススクールの生徒さんとの雑談の中で、結婚式を何処で挙げたかという話題となった。妙齢の方々が多くいる関係で、近年のようにホテルや専門のブライダルサロンでという方はほとんどいなく、自宅や公会堂、市民会館といった公共施設が、会場として上がっていた。そんな中、昭和30年頃に結婚式を挙げた生徒さんで、信香会館と答えた方がいた。
私が小学生だった昭和40年代、町内会館というと葬儀での使用が一番のメインだった。その他子ども会の催しや、町内関連の事業、マージャン大会等々の会場として使用されていた・・・。近年は、民間の斎場ができた関係で、町内会館で行う葬儀はとんとお目にかからなくなってきたのだが・・・。
そんな町内会館で結婚式???
ちょっと不思議な感じがしたが、昭和30年頃はごくごく普通の事で、冠婚葬祭によく会館は使われていたという事のようだ。大きなホテルがまだなかった時代、奥沢口の老松、公園通りの豊楽荘などが主な結婚式場で、老舗料亭の海陽亭などは最高ランクだったようだ。
信香会館に入った事はないのであるが、会館前の通りはウィングベイ小樽に向かう時の裏道としてよく通っているので、会館の存在は知っていた。
南樽駅から信香町方面に下り、小樽最古の銭湯「小町湯」を過ぎると、勝納川の手前に信香会館はある。木造モルタルの建物はかなりの年季が入っているので、前述生徒さんの結婚式を挙げた建物だなと思っていた。
しかし、昭和37年(1962年)8月2日から4日にかけて、小樽全域を襲い、市内全河川が氾濫した台風9号、10号の水害により勝納川も氾濫し、現在の信香会館の半分が流されてしまったのだと、当時潮陵高校写真部の部長として被害の状況を写真に収めていた、小樽シルバー人材センター高木成一理事長に教えていただいた。
半分流されて・・・、のその後の正確な情報は分からないのであるが、元々の建物が再利用されているのか、新たに建てられているのか・・・。
余談だが、この建物の勝納川側に非常階段ならぬ非常滑り台が付設されている。そういえば、昔の学校などでよく見た非常滑り台、最近はとんとお目にかからなくなっている。やはり、台風以前の建物を利用しているのかと思ってしまうが、真相は如何に・・・。
(斎藤仁)