長橋中学校

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私が中学生だった昭和40年代後半、小樽市内には16校の中学校があった。それ以降の40年間で増えたり減ったりして現在市内に13校の中学校がある。更に適正配置と称し合併、廃校が数校予定されている。卒業生にとっては、母校が無くなるのはさびしい限りだが、少子化、人口減少と致し方ない部分もある。

今回ご紹介する長橋中学校と私は、縁もゆかりもない。校舎はもとより校門から先に入ったこともない。この写真を撮るために校門近くに行ったのが初めてのことだった。ただ、国道沿いにあるという立地で、旧校舎の時代から遠巻きに車窓から眺めてはいた。

長中(ながちゅう)の事に興味を持ったのは、中学2.3年の担任だったY先生の話しからだった。小樽市内の中学校は戦後の学制改革で、昭和22年(1947年)に新設されたところがほとんどだが、長中だけは違うと教えてくれたのだ。

GHQ主導の学制改革で、全国の旧制中学は新制高校に転換していった。小樽で言うと庁立旧制小樽中学が潮陵高校、庁立高女が桜陽高校という具合だ。そして一部の例外を除き、市立の旧制中学は新制中学への転換が義務付けられ、ここ旧制小樽市立中学は、新制長橋中学に転換していったということのようだ。

ここは元旧制中学だったこともあり、市内のどこの中学校より広い、高校並みのグラウンドを擁し、テニスコート、バレーコート、飛び込み用の深いプールまであった。

前身の旧制小樽市立中学は、大正14年(1925年)板谷商船二代目板谷宮吉の、20万円(現在の価値で4億円以上)と学校敷地の寄付によって創立された学校であることは、良く知られている。小樽高商(現小樽商大)を卒業したての伊藤整が英語教師として着任し、樽中(現潮陵高校)に負けるなの勢いで、文武両道の中学校だったと各周年記念誌に記載されている。

私たちの時代の長中は、サッカー、野球、バスケット、バレー、水泳等スポーツが強く、どの中学校からも一回戦から当たりたくない学校と言われていた。学級数も多く、練習環境が整っているので毎年顔ぶれが変わる中学年代でも、おのずと結果が付いてきたようだ。特にサッカー、水泳では全道大会でも大いに活躍していた。

(斎藤仁)