旧荒田邸

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 緑第二大通りの一番最上町寄り山側に、旧荒田邸は建っている。小樽に数多ある大邸宅(旧寿原邸、旧板谷邸等々)などにも匹敵するお屋敷である。

 緑第二大通り界隈は、私の小中校区だったところであり、よく子どもの頃、遊んだ地域だった。この荒田邸の他、正法寺と直行寺の間にあった松川嘉太郎邸、そしてこの荒田邸のすぐ上に木村円吉邸があり、緑第二大通りの三大邸宅と私たちは勝手に呼んでいた。

 どの邸宅も門扉が閉められ、高い塀や生垣に囲まれ、中をうかがい見ることはなかなかできなかった。子ども心に、いつか中に入ってみたい、中にはどんな人が住んでいるのだろうと思ったものだった。

 しかし、残念ながら前者二邸宅は既に解体され、残るこの旧荒田邸にも今日までその願望は実現していない。

 この荒田邸を所有していた荒田商会は、杉商、樽石などと並ぶ小樽の石油販売会社の名門で、臨港線沿い浅草橋街園の向かい側にある旧本店事務所は、小樽市歴史的建造物に指定されている。現在は長橋と蘭島にガソリンスタンドを有している。

 現社長の荒田一正氏は、(公社)小樽法人会会長など数々の公職を歴任する、小樽のトップ経済人のお一人である。氏は私の小樽青年会議所、小樽南ロータリークラブの大先輩で、また、小樽南RC会長の時、私が幹事という秘書役を務めさせていただいた関係で、大変かわいがっていただいている。私の教室の発表会パーティーにも毎年欠かさず出席いただいている間柄である。

 この荒田さんに聞いた事によると、中学2年生までここに住まわれ、以降は現本社のある松ケ枝町に、本社、自宅ともに新築移転されたという事だ。という事は、昭和30年代中過ぎには人手に渡っている事になる。

 私が遊んでいた昭和40年代頃は、すでに旧荒田邸だったわけだ。しかし、近所の子どもたちは、荒田邸と呼んでいて、それから半世紀近く経っても、その呼び名は変わらない。

 この横小路の上に住む元市議会議員で「杜のつどい」会長の大橋一弘氏も、自宅を案内する時、未だ旧荒田邸の小路入って・・・と説明している。
 残念ながら荒田さん以後現在の持ち主の方まで、何代変わられたのか、同じなのかも存じ上げない・・・。

    

(斎藤仁)