千秋通り
千秋通りは洗心橋から右に曲がり、天狗山スキー場に上って行く全長1キロ強の坂道だ。私は緑小学校4年生の春から、高校1年修了までこの坂の真ん中より少し上にある、工業高校職員住宅に住んでいた。
通りを挟んだ向かい側に最上小学校があったのだが、なぜか区域外の緑小学校に卒業までの3年間通い続けたのだ。
小学校からの帰り、洗心橋までは緑小校区なので友達と一緒に帰ることができるのだが、橋を一人で渡り、この見通しの良い長い一本坂を見上げると、「今日もまた頑張って上がらなきゃ・・・」といつも思い、一つ、二つ諦めのため息をついたものだった。
この坂道の最大勾配は、通りの最上部付近の15%(100m進むと15m上がる)と記されているが、昔はここが20%くらいの急坂であった。40年以上前になると思うが、最上公園の上あたりから、最上部まで坂道を掘り下げる土木工事をしていた。その名残が坂道上部、両側に広がる切り通された法面だ。
千秋通りの名前は、緑第二大通りと交差するT字路に千秋閣という建物があったことに由来する。私が住んでいた頃は、小樽商大学長官舎だった。蔦の絡まる尖塔のある洋館で、いかにも西洋の幽霊でも出て来そうな雰囲気で、子供心に近づき難い感じがしたものだった。この洋館も昭和50年(1975年)頃に取り壊され、一般住宅に衣替えし、名残は一部残された煉瓦塀のみである。
先日、昭和20~30年代にこの界隈に住まわれていた、教室の生徒さんから初耳情報を得た。それは、工業高校下、最上仲通りとの十字路がロータリー交差点だったというのである。小樽のロータリー交差点というと、桜ロータリーだけだと思っていたのだが、この小さなごくごく普通の、当時信号機もない交差点がロータリーだったとは!!!
「本当にロータリーだったの???」
「そうだって、間違いないって、だって家の目の前の所だもの、間違えるわけないしょ」
先輩たちから聞く、私たちの知らない市井の思い出話には、ガイドブックにはない面白さと、ノスタルジックな思いが湧いてくる。
(斎藤仁)