叫児楼
静屋通りの喫茶店「叫児楼」に初めて行ったのは、私が高校1-2年頃、昭和50-51年頃だったと思う。産業会館の裏に石蔵を改装した面白い喫茶店ができたというので、仲間数人と学校帰りに行ってみた。
今の小樽は、石造倉庫をはじめ、古い建物をリノベーションしたお店がたくさんあるのだが、当時石蔵を再利用したお店はほとんどなく、この後、村松友視の小説で有名になった「海猫屋」くらいしかなかったのではと思う。
その時代は、喫茶店の最盛期で、小樽だけでも200店以上もあり、全国津々浦々どこにでも大小様々な喫茶店があった。「叫児楼」にはそれらとはちょっと違った雰囲気が漂っていた。
非常に狭い入口、急で窮屈な階段、中二階だったり、半地下だったり、二階だったりとなんとも入り組んだ間取り、決して座り心地の良いとは言えない木製ベンチ、録音室と書かれたトイレ(音入れ)・・・。
ゆったりとしたソファタイプのイスに深く腰掛けていた、既存のお店とは、明らかに違っていた。
その後、この「叫児楼」のある静屋通りは若者向けのいろいろなお店がオープンし、道新市内版やガイドブックなどで、小樽の原宿などともてはやされ、現在の小樽運河ができる前段、北一硝子共々小樽観光の黎明期を支える存在となっていった。
「叫児楼」を始めた佐々木一夫氏、通称興次郎(きょうじろう)さんは、平成12年(2000年)に閉店した後、小樽観光協会専務理事を経て、現在は運河プラザ内で一番庫カフェのマスターをしている。
私も専務時代は浅草橋イベントで、カフェマスターになってからは、運ブライベントでお世話になっている。
現在の「叫児楼」は、佐々木さんの志を受け継ぐ形で「二代目叫児楼」として、私の小樽JC後輩にあたる菅原康晃さんが引き継いでいる。
彼を菅原姓から、仲間は愛情を込めてブンタ、後輩はブンさんと呼んでいる。このブンタ君、若い頃「叫児楼」のアルバイト募集に3回落ちているという因縁の持ち主である。前職看板屋の時に、閉店看板依頼で状況を知り、矢も盾もたまらず、佐々木さんから権利を買い、4回目にしてめでたくオーナーになれたという。
今日もブンタ君は、蔦の絡まる石蔵喫茶店で名物スパゲティと美味しいコーヒーを落としている。
(斎藤仁)