中塚産婦人科跡

former_nakatsuka_gynecological_hospital

 写真のアパートは若松町、西別院正門の斜め向かい。ここには中塚産婦人科があった。この場所は、我が家の一人息子の出生地でもある。

 今、小樽を含めた地方都市で出産できる病院は限られているという現状であるが、30年近く前の当時は、個人医院、総合病院合わせて選択肢がいくつもあった。

 家内の妹が前年ここで里帰り出産していたこともあり、花園町の自宅マンションから徒歩圏内であった、河崎産婦人科、協会病院、小樽病院を通り越し、中塚先生にお世話になったのだ。といっても、ここも徒歩圏内であるのだが・・・。

 中塚産婦人科には、独特のルールがあった。それは、出産後の妊婦を夫が、お姫様抱っこで病室まで運ぶというものだった。家内は帝王切開だったこともあり、私は1階の手術室から階段を上り、2階の病室までゆっくりと慎重に運んだのである。担当のベテラン看護師さんからは、分別室は2階だから楽だったのにね、と言われる始末・・・。まあ、私の人生でこんなに緊張した事はなかった。なにしろ相手はお腹を切った直後である・・・。

 さらに、妊娠前45キロだった体重が、なんとその時は、60キロを大きく超えていた。だっこしている間、両腕に重くのしかっても持ち替えることもできず、ゆっくりと大切に運ばなければならなかった思い出は、いろいろな意味で忘れることができない。ちなみに、彼女の名誉のため付け加えるが、出産後、現在まで元の体重45キロをキープしている。

 また、その出生日前夜、私は宴会出席で外出していた。その日のうちに帰るからと言って、出たのだが、調子に乗ってしまい帰宅時間は12時を回っていた。帰ると誰もいない・・・。

 テーブルの上には、「病院に行きます。破水しました」のメモ書き・・・・・。

 私は慌てて車に飛び乗り、病院に向かったのだ。病院に着くと、私の両親と緊急処置室のベッドに横たわる家内。それ以来、私は家内に頭が上がらないのである・・・・・。

(斎藤仁)