サイレン

otaruseikan_siren

「ポぉー」でもないし「ぼぉーっ」でもない。
なんとも文字にはできない響き。
暮らしの中になくてはならない小樽だけの特別な音がある。

朝に夕に。
時を教えてくれる「北海製罐」のサイレン。
その音は思い出とともに今も聞こえる。

子どもの頃の遊び場はお寺の境内や鉄道官舎の空き地だった。
習い事をしている子はまだ少なく、まして塾など誰も行っていない。
学校から帰るとみんな遊んでいた。と、思う。

遊び場は小学校の裏山、よいこの公園だったこともある。
そして大胆にも道の真ん中で遊んだ。ゴム飛びして。

もちろん時計などない。

夢中で遊んでいるとあっという間に時間は過ぎるもので、
ハッと現実に返り、
よもやサイレンを聞き逃したりはしていないかという不安にかられる。

サイレンは帰る時間を教えてくれる貴重な時計なのだ。

買い物篭を腕にかけエプロンしたままつっかけ履いて、
市場におかず買いに行くみたいなオバちゃんにおっきな声で、
「オバサァーン、いまなんじ~?」
とか聞いた。
すると知らないよその子でも普通に、
「さっき、せえかんのサイレン鳴ったからねー。そろそろ帰る時間だよーっ」
などと教えてもらえるのだ。

まだまだ明るいのに帰る時間になってしまう夏の日。
秋。
薄暮の中に消えていく友だちの後ろ姿は、明日もまた会えるのになんとももの悲しい。

それでも五時までに家に帰らなくては叱られるから。

仮面ライダーのショッカーの基地になったこともあるあの階段。
記憶の中では錆びた鉄板色の壁。
運河に映るその姿は、絵になり写真になってきっと世界中に広まっている。

ずっと、そう、もう百年近くも鳴り続けている北海製罐のサイレン。
恥ずかしながら、その「せえかん」が何者かわかったのは、つい最近である。
久しぶりに目を閉じて、ゆっくりと吸い込むようにその音を聞いてみた。

一日にメリハリをつけて時間を区切り、人生をもそうするようにと教えられた気がした。

(香)