親孝行
「孝行のしたい時分に親はなし」とは、よくいったものだ。どうしてあの時にそうしなかったのか。普段はしない、そんな話をしたいと思う。
父は私が15歳のときに脳卒中で亡くなった。急死だった。その当時のことはよくおぼえていない。もうその人には会えないという実感がわいてこなかったのがその原因だろう。いろいろな人に励まされ、同情をしてもらったりはしたが、当時の私はまるで宙にういたように、何もかんがえることもなく、まるでそのことを忘れたようにその後の日々をすごしていった。
月日がながれ、あらためて父がいた部屋で、生前の物品を整理していると、1つの、こぎれいなアルバムが出てきた。それは、父が亡くなる1年前に家族みんなで行った北海道旅行のアルバム。興味本位でひらいてみると、そのときの思い出がつまっていた。写真は記憶を、思い出を真空パックのようにとじこめてくれる。わすれていた景色を、目の奥に再現してくれる。その思い出の最後のページは小樽でしめくくられていた。旅行の最後によったまちだからである。運河、人力車、オルゴール堂、アイスクリーム、ガラス、水族館、イルカ…。そこで気づいてしまった。この旅行は“あの場所”に行っていない。
小樽の観光で父がたのしみにしていたのは、「旧魁陽亭」であった。著名人も多く愛した、北海道で1番古い料亭らしい。ただ、当時の自分にとってはまったく興味のわかないものでもあった。旅行のつかれもあり、旧魁陽亭は寄らずにはやく帰ろうと父にいいつづけた。気のつよい父であったが、しぶしぶ了承してもらったのをおぼえている。
そんな、なんでもないように見える話が、後悔になっている。こうやっていつも自分の都合を優先していた私は、最後まで父をよろこばせようとか、孝行しようということもせず、結局できずじまいになってしまったのだ。いま思えば、ずっとそうだったかもしれない。
そして、22歳になった私は大学の授業で小樽の歴史的建造物をとりあげることとなったときに、この後悔から「旧魁陽亭」にいくことにした。せっかくだから家族みんなでいこうと、あのときは運転していた母を後部座席にのせて。旧魁陽亭は、時代の流れにとりのこされたようで、空気がちがっていた。
「この場所のよさは今ならちょっとわかるね。」
母とそんな話をしながら、若葉マークをつけた車で家に帰っていった。後悔しないための、ちいさな親孝行の始まり。きっかけが授業だなんて、人生はわからないものだ。
(樹)