豆大福

「小樽からお参りの人が見えたよ。」
大福の入ったパックを手にして、父が茶の間に入ってきた。

私の実家は小樽からバスを乗り継いで3時間以上はかかる、寿都町という日本海沿いの小さな港町の神社だ。
私は今、大学の遠隔授業が続いているため、しばらく実家に滞在している。

その女性は小樽からバスを乗り継いでやってきたという。そして父は言った「昨日もお参りに来たんだ」。

その大福はもち米とあんこ、材料のはっきりしたものだけで作られていると私にもわかる本物だった。

私は小樽生まれだ。父はそのころ小樽の神社で奉職していたが、縁あって今は寿都町の神社の宮司だ。
小樽に住んでいたころ、新倉屋の団子や菊原さんの大福をよく買っていたらしい。
今も時々小樽の大福を父や母が買ってくる。一日たつと固くなるツルヤさんの大福を母は好んでいる。
父は、景星さんのべこもちが好物だ。また、少ししょっぱい雷除志ん古の豆大福も時々食べたくなるという。
そういう私は新倉屋の団子があんこがしつこくなくて小さいころから好きだ。山型にたっぷりあんこを乗せた団子は見た目もきれいだ。

なぜ小樽に餅屋がそんなにあるのだろう。明治初期に小樽が北前船で栄えたころ、運ばれてきた米と送り出すための物資の小豆や砂糖。それが小樽で出会い、港に溢れていた鉄道や運河建設の労働者、力仕事に従事する人たちにとっての手軽に取れるエネルギー源として餅が好まれたらしい。
力を合わせて仕事を頑張り、おいしい餅を食べる。頑張った後に皆で食べる餅はさぞ温かい味だったに違いない。
また、その当時の小樽には100軒近くの餅屋があったそうだ。以前から小樽には餅屋が多いと思っていたが、そう考えるとよく残ったというべきか。

わざわざ二日連続で寿都に訪れたその女性は、いったい何をご祈願されたのだろうか。
初日に良くしてもらったお礼に持ってきたというその大福は、“みなともち”のものだった。
豆大福があまり好きではなかった私が、また食べたいと思ったお餅。今度小樽に帰った時に買いに行こう。

(猫娘)


※本記事の内容は2020年8月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香