済生会小樽病院

 済生会小樽病院は、小樽市内に4つある大きな総合病院の一つである。元々は梅ケ枝町にあり、手宮・高島方面の北小樽地域の医療を担っていた。平成25年(2013年)に現在地の小樽築港に新築移転している。北小樽地域に患者さんが多いという事で、病院と北小樽地域の間で、無料送迎バスが移転当初より運行している。

 ここは、平成14年(2002年)に済生会小樽北生病院から現在の済生会小樽病院と改称しているのだが、私も含めて今だ「北生病院」と呼んでしまう妙齢の市民は多い。しかし最近では、ほとんどの市民は「済生会」と呼んでいる。

 私は北生病院の時代から、ここには大変お世話になっている。最初にかかったのは20代後半の頃、踵に体重を乗せると何とも言えない痛みが走り、走ることはもちろんの事、ちゃんと歩く事さえできなくなったことがあった。

 当然、生業の社交ダンスを踊る事もままならず、いろいろな方々に相談すると北生病院の整形外科が良いよ、という事になり、早速看てもらうことになったのだ。最初の担当は、現在名誉院長の近藤先生。

「この踵の痛みねえ・・・、まあ老化だな・・・」
「先生!!! 老化って、僕はまだ20代ですよ」
「何言ってるの、25歳過ぎたら老化ははじまっているんだよ。効くかどうかわからんけど、とりあえず踵に注射打っとくか・・・」

 なんとも適当な感じなのだが、何故か憎めないキャラクターだった。

「先生、その注射効くんですか・・・」
「うーん、2.3日は間違いなく効くと思うけどなあ。一ヶ月効くか、半年効くかはわからんよ。まあ、個人差もあるしな・・・」

 お互い笑いながらバンカラな会話をした後、件の注射を近藤先生は打ったのだ。

「どうだ、注射痛かったべ」
「先生、なまら痛かったわ、この注射」
「最初からこの注射痛いって言ったら、みんな打たなくなるから、俺は言わないんだわ」
と、大笑いしながらの近藤先生の診察は終了したのだ。

 この注射のおかげだけでは無いと思うのだが、60代になった現在まで踵の痛みは再発していないのだ。

 梅ケ枝町の時代には、夜間救急センターが隣接していた関係で、40代で2度ほど夜中に担ぎ込まれている。尿管結石による激痛が理由だった。

 2度ともその日のうちに泌尿器科クリニックで看てもらった。一度目は夕方にはポロっと石が落ち事なきを得たのだが、2度目は中々石が落ちてこず、結局ここに入院して結石衝撃波破砕術を受けることとなってしまった・・・。

 現在札幌側で工事中なのは、桜陽高校の奥にあった済生会西小樽病院を統合し、そこに併設していた重症心身障害児(者)施設「みどりの里」を新築しているからであるそうだ。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年7月時点の情報に基づいたものです。