入船コート

 入船公園の中に正式名称「小樽市入船公園庭球場」と言われる「入船コート」がある。4面のクレー(土)コートと片面だけ観客席を擁している。ここは、もともと昭和29年(1954年)の第9回国体北海道大会バレーボール会場として、整備新設されたものだった。

 当時のバレーボールは今と違い屋外競技だったわけだ。そして妙齢の方には懐かしい9人制で実施されていた。昭和39年(1964年)、前の東京オリンピックを境に、極東式と呼ばれていた9人制から、国際式と呼ばれていた現在の6人制バレーボールに徐々に移行していったと記憶している。

 私たちの時代(昭和40年代後半)、母校松ヶ枝中学校体育バレーボールは、9人制を実施していた。バレーボール部は6人制だったが、中庭屋外コートで部活を行っていた。ちなみに私が中学3年生だった昭和48年(1973年)6月のバレーボール中体連小樽予選は、松ヶ枝中学校グラウンドにコートを3面作って屋外で開催された。

 話しはテニスに戻り、現在小樽には市営テニスコートが5ヶ所ある。古い順に小樽公園、入船公園、からまつ公園、朝里ダム園地、朝里川公園である。そのうちこの入船コートは、小樽テニス協会が委託管理している。もう一つのテニス、ソフトテニスは小樽公園の花園小学校隣にある通称花園コートを使い、小樽ソフトテニス協会が管理している。

 この形は入船コートがバレーボールからテニスに転用された昭和42年(1967年)から続き、硬庭(テニス)の入船、軟庭(ソフトテニス)の花園とテニス関係者は言っている。

 私の入船コートの思い出であるが、40年ほど前の事になる。北照高校軟庭部(現在は活動していない)が全道高校選手権団体戦で2連覇を含む3回優勝していた時期である。軟庭(ソフトテニス)なのだが、この入船コートで練習していた。

 たまたま通りかかった時に野球グラウンド側に設置してある観覧席から、練習風景を見たことがあったのだ。当時の部活である。想像できると思うが、鬼監督と言われていた近将敏先生の怒声と、選手のそれに返答する大声が、コート中に鳴り響いていた。これが噂の自身も一流選手として名を馳せた近先生か、流石に全道大会で勝ち続けるチームは違うなと猛練習がしっかり脳裏に焼き付いている。

 数年前の早朝、愛犬の散歩で入船公園を訪れた時、この入船コートでは妙齢の男女が早朝テニスを楽しんでいた。北照高校の練習とは隔世の感があった・・・。

 余談だが、ここは前述したように小樽テニス協会が管理している。だが、なかなか小樽市の予算が付かず、コート保全に難儀していた。そんな時、緑町の自身もテニス選手として全道の年齢別大会を何度も制している芳川雅勝さんが、数百万という多額の寄付をして、入船コート4面すべての土を入れ替えたという。

 新聞でも紹介されたできごとだが、小樽スポーツ協会理事としてご一緒させていただいている佐藤則之小樽テニス協会理事長が、さらに付け加えて教えてくれた。実はこの寄付が初めてではなく、過去何度も合計数百万円になる会長の個人寄付、協会による団体寄付をして、この入船コートの保全に尽くしているというのだ。小樽市はスポーツ予算が他都市に比べて、割合も金額も非常に低い。市民の健康を持続的に守るためにも、いろいろアイデアを出していかなければならないと思っている。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。