旧豊倉小学校

 朝里川温泉の山あいにあった豊倉小学校は、令和2年(2020年)3月末をもって107年の歴史に終止符を打った。豊倉小学校は、大正元年(1912年)熊碓尋常小学校(桜小学校)の分校として開校。

 その後近隣のバス停として名が残る文治澤小学校となり、昭和18年(1943年)、文治澤が豊倉と地名変更になったのに伴い豊倉小学校と改称している。ちなみに豊倉から朝里川温泉と地名変更しても、学校名は変わらずにいたということである。

 私が豊倉小学校の存在を知ったのは、小樽にも田舎の分校みたいな小さな小学校が2つあるんだよと、担任に聞かされたのが最初だった。その一つが豊倉小学校だった。

 もう一つの桃内小学校は、海岸名としても、余市方面へのバス停名でも知っていたので、場所はなんとなく特定できた。しかし、今から半世紀以上前の昭和40年代には、豊倉という地名が小樽市内から消滅していたので、豊倉小学校と言われてもあまりピンと来なかった記憶が残っている。

 それから10年ほどの月日が流れた昭和52年(1977年)、待望の運転免許を取得した私は、初心者にありがちな、今まで行けなかった、行きたかった道の踏破を試みていた。誰から聞いたか、天神のゴミ捨て場(実際の住所は奥沢だが当時のみんなはこう呼んでいた)の上から、朝里川温泉に抜ける林道があるというのである。まだワインの丘パークゴルフ場はもちろんの事、その上の北海道ワインも開業前、さらに望洋台もまだ造成される前のことである。

 その林道入口は、ゴミ捨て場跡と一体となってしまっていたので、赤井川国道から、大変わかりづらかった。後年、「←朝里川温泉」の立看板ができたが、その時はそれも無かったので、行ったり来たりし、やっとの思いでこの林道入口を見つけ、車を森の中へ進めた。

 しばらく道なりに走っていると忽然と小さな校舎らしき建物と遭遇した。窓に豊倉小学校とかかれた文字を見つけ、これが昔聞いた豊倉小学校なんだと感激した覚えがある。

 その時の印象は、ずっと森の中を走ってきたので森の奥の奥に学校があるという印象だった。しかし、豊倉小学校を左に見ながら通り過ぎるとすぐに住宅街になり、程なく朝里川温泉通りに出たのである。

 振り返ると朝里川温泉通りからは、すぐの距離にあり一瞬考えた「ぽつんと一軒家」ではないことがわかり、拍子抜けした記憶がある。

 昨年、一昨年の9月、小樽市総合体育館アリーナで開催された、小樽市と小樽スポーツ協会主催「おたるスポーツフェスティバル」に、豊倉小学校全校児童6名による一輪車パレードが披露された。

 緊張の中、演技を披露した児童は、多くの観客、参加者から絶大なる拍手を浴び、満面の笑顔を見せていたことを書き加えておく。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年5月時点の情報に基づいたものです。