稲垣工芸

 写真に写る稲垣工芸は、新光5丁目にある木工団地に今も残り家具製造、卸、販売を行っている家具工場である。今も残りと書いたのは、バス停名に残る木工団地が造成された頃は小樽市内10軒以上の家具工場が集約し、原材料調達等協力しあっていたのだが、現在は稲垣工芸を含めて2軒しか残っていないとのことだ。

 稲垣工芸の稲垣哲也社長とは、小樽青年会議所同期メンバーとして一緒に街づくり活動を行ってきた仲間であり、今もクラブは違えど、同じロータリアンとして社会貢献活動を実践している。お互いに「てつ」「じん」と呼び合う仲でもある。

 稲垣工芸は全国に販売網が広がっているとの事で、ほとんど小樽市内か札幌程度の近場にしか移動しない私と違い、年に何度も全国を飛び回っているようだ。

 ジャニーズのTOKIOが、小樽のいくつかの坂をソリで滑るというテレビ企画があったが、その企画で使用されたソリを稲垣工芸が制作しているという。

 この稲垣社長とは、高校時代から少なからず因縁がある・・・。
 桜陽高校柔道部のエースで主将だった「てつ」は、その年の小樽後志高校柔道界を向かうところ敵なしで席巻していた。

 私たち潮陵高校柔道部も打倒桜陽高校を旗印に稽古を重ね、高体連小樽予選の前哨戦だった春の渥美杯で、桜陽に3-2で土を付けていた。迎えた蘭越高校体育館で開催された、後志管内16校が参加した、高体連小樽地区予選の決勝で両校が再び相まみえたのだ。

 2-2の同点で迎えた大将戦、桜陽は「てつ」、潮陵は私が登場した。私が引き分ければ、内容差で潮陵の優勝が決まる大事な試合だった。現小樽柔道会会長の山本典夫先生から、稲垣の右手を封じ奥襟を取らせるなとの指示・・・。

 そんな事いわれても、今はお互い同じような体型となっているが、当時は「てつ」の方が30キロ以上重い。何ともし難い体重差・・・。喧嘩四つで前半は持ちこたえたのだが、スタミナ切れの後半、最後は30秒押さえ込まれ一本負けを食らってしまった。潮陵の優勝は夢の彼方に消えてしまった・・・。

 その寝技は、亀(四つん這いで防御の体勢)から私の顔面を回転しながら畳に擦りつけ、たまらず仰向けになり押さえ込まれてしまった。私は、おでこ、鼻、あご、左ほほがずりむけて、試合終了後そのまま蘭越高校保健室まで運ばれてしまったのだ。

 その保健室では、お手伝いの蘭越高校女子高生に赤むくれの顔を見られキャーと叫ばれるわ、保健室のおなご先生からは、だから柔道は野蛮なのよって捨て台詞を言われるわ・・・。

 この擦り傷、どうしょうもないよと追い打ちをかけられる始末・・・。顔にオキシドールかけられて治療終了。なんとも踏んだり蹴ったりの「てつ」との最終戦。

 後年小樽青年会議所に入会した時に、その時の苦い思い出を、聞いてみた。
 「ああ、そんな事あったっけね・・・、よく覚えてないわ・・・、そんなにケガしたっけ」
とのつれない答え。

 関西の大学に柔道推薦で進んだ「てつ」と高校で柔道を卒業した私では、柔道における修羅場の数も違うので、当然といえば当然なのであるが・・・。

 その後、私の両親の葬儀にお手伝いいただいたり、野外音楽イベントにご協力いただいたりと大変お世話になっている。その擦り傷も今となっては、楽しかった勲章である。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年5月時点の情報に基づいたものです。