向陽中学校

 向陽中学校は、戦後の学制改革により新制中学校が続々と開校した昭和22年(1947年)から遅れること6年、昭和28年(1953年)に小樽市内15番目の新制中学校として開校している。

 奥沢小学校の一部と、閉校となった天神小学校が校区で私の母校松ケ枝中学校とは、校区が隣接している。

 松ケ枝中学校運動部のマラソンコースが、学校から奥沢水源地までの往復だったので、途中で見える向陽中学校の校舎を遠くに眺めながら、汗をかきかきこの中学生には少し長めの4キロのマラソンコースを何度も走ったものだった。

 当時は道道側に校門があり、校舎まで長い坂道が続いていたのを見ていた。残念ながら、この校舎に続く坂道を通ったことはない。

 松ケ枝町の切割から天神十字街までの坂を松中生は、「向陽の坂」と勝手に呼んでいた。行きはまだまだ元気で下り坂でもあるので、途中に見えるジャンプ台や校舎をゆっくり眺める事ができるのだ。

 しかし、復路の水源地からの本通りはダラダラの下り坂だが、天神十字街からの「向陽の坂」は「心臓破りの坂」そのもので、顔も上げられず、少し先のアスファルトしか目に入らない過酷なものだった。

 前述のジャンプ台は、校舎から少し離れた畑地の中に、鉄製のアプローチがランドマークのように立っていた。もう既に当時から使われていなかったようであるが、それからしばらくして解体され跡形もなくなってしまった。

 小樽スキー連盟100年記念誌によると、向陽中学校を含む小樽市内7校にジャンプ台があったと記載されているが、今は一台も残っていない・・・。

 昭和60年(1985年)完成の新校舎と共に、天満宮側に校門が新設され、校門を入るとすぐ校舎という便利な状況となっている。前述の旧校門は使われなくなり、通行止めとなっている。校門から校舎は近くなったのだが、今度は天満宮の坂を上がらなければならなくなった・・・。まあ、坂の街小樽あるあるである。

 この新校舎に私は2度ほどお邪魔している。一度は平成17年(2005年)に開催された小樽市PTA連合会研究大会で体育館にお邪魔した。料理研究家の星澤幸子女史が特別講演の講師だった。

 もう一度は、小樽バレーボール協会の事務局長が、向陽中学校の先生だった関係で小樽スポーツ協会の打合せで職員室にお邪魔している。

 余談だが、向陽中学校は、小樽の戦後新設中学校では唯一(長橋、西陵は旧制時代からプールがある)プールがある。
 「向陽にはプールがあるんだよなあ・・・、羨ましいなぁ・・・」
 と夏の日のランニング中に、先輩が言っていたのを思い出す。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年5月時点の情報に基づいたものです。