張碓小学校

 張碓小学校は、国道5号線札幌方面に向かって行くと、高速橋脚の下にある大きなカーブ張碓大曲を過ぎると、ほどなく写真の看板が山側に見えてくる。国道の学校前には、自転車も通行できる大きな歩道橋が架かっている。国道から下(海側)が張碓で、上(山側)が春香なので住所は春香町ということになる。

 張碓小学校の沿革をご紹介する。明治9年(1876年)張碓教育所として、既に開校していた量徳小学校、忍路中央小学校に次いで現在の小樽市内では3番目の小学校として開校している。

 この明治9年には、既に閉校となってしまった旧祝津小学校、朝里小学校が開校している。小樽の中心地にある花園小学校、稲穂小学校が開校するのはそれから20-30年先になる。

 冒頭、現在という接頭を付けたのは、開校当時の校名は前述の張碓教育所。その後張碓村立張碓尋常小学校と改称し、明治35年(1902年)、張碓村が銭函村、熊碓村と一緒に朝里村に合併された事により、朝里村立張碓尋常小学校となっている。

 さらに昭和15年(1940年)、朝里村が小樽市に編入されたことにより、この年にはじめて小樽市立の冠が付き、小樽市立張碓国民学校となり、戦後の学制改革により現在の名称、小樽市立張碓小学校となり、今に至っているわけなのだ。

 元々張碓小は、忍路中央小、旧桃内小、旧豊倉小と共に小樽市内の複式学級を含む小規模校として位置づけられていた。現在は複式2学級、単式2学級の合計4学級で、児童数も忍路中央小学校に次いで少ない小学校となっている。

 現在の校舎は、平成2年(1990年)に建て替えられた。教室の壁がない小樽で初めてのオープン型教室と、天窓からの自然光を取り入れた設計となっている。

 現在、オープン型教室が生まれ30年以上が経ちメリット、デメリットがいろいろな場で論じられているが、張碓・春香地区の住民千人強という校区に40人弱の児童数という、ここ張碓小学校のような小規模校では少なからず効果があったような気がしている。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年4月時点の情報に基づいたものです。