サムライ部落

 写真は貯金局(貯金事務センター)の裏側にある沢。右上の樹木の生い茂る造成地が入船公園である。
 読者の皆さん、唐突ですがこの辺りにあったサムライ部落って知っていますか?

 小樽にも入船にサムライ部落が存在したのである。私も昭和43-44年頃、そのいかにも掘建小屋というか、バラックというか・・・。サムライ部落の存在を遠巻きながら見たおぼろげな記憶がある。

 サムライ部落の歴史を紐解くと、北海道開拓期の明治後期から存在していたようである。その頃は後述の兵舎跡などまだ無いので、いわゆる貧民窟のはじまりだったようだ。

 昭和29年(1954年)、小樽での国体バレーボール会場造成のため「上の沢」と呼ばれたサムライ部落上部住人を市内各地に造成した市営住宅に移転させた。その造成地が入船公園である。

 冒頭「小樽にも」と書いたのは、札幌の豊平川河畔、旭川では忠別川河畔、函館でも大森浜と道内主要都市に同名の「サムライ部落」が存在していたのだ。

 ただ、小樽以外は、流動性の高い住民が不法占拠している場所であったのだが、小樽の場合は戦時中の暁部隊兵舎跡利用ということもあり、一応戦後は市営住宅という形式はとっていたようなのである。

 このサムライ部落を舞台に、小樽出身の作家山中恒原作の児童小説「サムライの子」が昭和33年(1958年)に出版された。まもなくつのだじろう作画による漫画本も出された人気作品だった。

 さらに「サムライの子」は、昭和38年(1963年)若杉光夫監督により、日活から映画化もされている。後の巨匠今村昌平が脚本を担当し、浜田光夫、田代みどり、南田洋子、小沢昭一等、そうそうたる役者が出演している。

 当時の花園小学校児童もエキストラとして出演し、花園小学校の屋内運動場やサムライ部落そのものもロケ地として使われたそうだ。

 石原慎太郎の小説「弟」の中にもこのサムライ部落の記載があり、作者慎太郎自身は近づかなかったのだが、弟裕次郎は、まったく意に介さずこのサムライ部落に出入りしていた事が記されている。

 最後に、日銀前から貯金局がこの地に移転してきたことにより「沢の下」と呼ばれていた最後のサムライ部落が消滅したのだ。このように、細民街という負の歴史の一つが、市民の記憶から忘れられていったのである。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年3月時点の情報に基づいたものです。