小樽商大

 小樽商科大学は、緑3丁目の緑が丘と呼ばれる丘陵地帯に明治43年(1910年)創立された、小樽高等商業学校を前身とする国立大学唯一の社会科学系単科大学である。

 道市外からは「樽商」と略されているようであるが、小樽市民にとって「樽商」は商業高校の事を指すので、単に「商大」という呼び名に慣れ親しんでいる。ちなみに、公文書では「樽大」と略すのだと大学関係者が教えてくれた。

 小樽高商と呼ばれていた戦前の高等商業学校時代、長崎高商(現長崎大学経済学部)、横浜高商(現横浜国立大学経済学部・経営学部)とともに官立三大高商と呼ばれ、多くの優秀な人材を経済界に輩出している。また、小林多喜二、伊藤整など日本を代表する文学者の母校としても有名である。小樽商大は小樽市民の誇りであり、卒業生は一目置かれる存在でもある。

 今から半世紀以上前、私が経験した商大生とのあるできごとを紹介する。
 私たち家族が地獄坂に引っ越してきた昭和41年(1966年)夏のことであった。商大通りには大学後方の山を源流とした側溝より少しだけ大きな、コンクリートのU字溝で固められた小川がある。その川の中に友だちと二人で入り、上流に向かってバチャバチャ音を立てながら上がっている時のことだった。黒縁メガネで学生服を着た商大生にこう注意されたのだ。

 「君たち、川の中で遊んじゃダメだよ。川の水の中にはいろいろなバイ菌がたくさん入っている。そして転んだら危ないからすぐに上がりなさい!!!」

 まあ川と言っても、当時は生活排水がそこいらじゅうからこの小川めがけて流れてくるわけだから、バイ菌だらけなのももっともな話であった。

 素直な小学低学年だった私たちは、ただちに陸(おか)に上がり、その商大生に対しバツ悪そうに頭を下げたのだ。そうすると商大生は、濡れた手足を拭きなさいとばかりにポケットからしわくちゃのハンカチを取り出し、私たちに差し出してくれたのだ。

 当時のいでたちを思い出すと、半ズボンにランニングシャツ、そして裸足に三馬のゴム製短靴を履いた子どもたち。手と脚を軽く拭きその商大生に返したのだった。今思うと、本当に学生服で黒縁メガネだったかは、はっきり覚えていないのであるが、その頃の商大生のイメージは、私にとってそんな感じだった。

 時は流れ、今の商大生のイメージは・・・いやいや決して悪くはない!!!

(斎藤仁)


※本記事の内容は2019年12月時点の情報に基づいたものです。