第一ゴム

 第一ゴムは、戦前より北海道を代表するゴム長靴工場地帯として、数多くの工場を抱えていた、小樽市奥沢にミツウマと共に残る地元資本の会社である。

 昔、第一ゴムの長靴包装箱には「内閣総理大臣賞受賞」という文字が大きく書かれてあった。この文字だけで子どもにとっては、高級感漂うただならぬ雰囲気を醸し出し、大いにあこがれていた。日本一の長靴の履き心地とはどんなものだろうと子ども心に思ったものだった。しかし、私にはそれを履く機会は訪れなかった・・・。

 私たち昭和世代の子どもたちにとって当たり前の事であるのだが、冬以外でも雨が降るとゴム長靴を履いていた。理由は簡単、道路の舗装事情が悪かったり、防水性の弱い布製の運動靴ではすぐに濡れて履けなくなってしまったからなのである。どこの家にも家族全員のゴム長靴が、狭い玄関に所狭しと並べられていたものだった。

 時は少し巡り、私にも憧れの第一ゴム製を履く機会が訪れた。小学5年生の時に買ってもらったバックルスキー靴が、第一ゴム製だったのだ。ゴムの編み上げスキー靴からバックル式に変わった嬉しさは、今でも忘れない思い出だ。

 奥沢のゴム長靴工場街には最盛期の昭和30年代、約3000人の工員が働いていたとの記録が残っている。大まかにそのうち1500人がミツウマで、500人が第一ゴム。残りの千人がそれ以外のメーカーと下請け工場の工員。ミツウマが600人の時は、第一ゴムは200人と常に3対1の関係だったと第一ゴムの元工員が教えてくれた。
 ちなみに現在はミツウマ200人、第一ゴム70人でこの対比数はほぼ変わらない。最盛期の十分の一以下という事になる。

 製造業を含む第二次産業が海外に移行している近年、第一ゴムのような国内ゴム長靴メーカーは大変苦戦を強いられ、廃業、倒産と淘汰されていった。
 そんな厳しい経済状況の中、第一ゴムは日本で初めて廃タイヤを利用したエコ長靴イークルーを開発したのだ。平成19年(2007年)にエコマークの認定を受け翌年から販売開始、全国展開している。

 ゴム長メーカーは小樽だけでも中小零細合わせて10数社あったと記録されているのだが、現在、日本国内でゴム長メーカーは4社しかない。そのうち半分が奥沢にあるというのは、物づくりスピリットを大切にしている小樽の心意気を感じているのは私だけではないはずだ。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2019年11月時点の情報に基づいたものです。