サイダ

 奥沢に「サイダ」とカタカナ表記の会社がある。長橋にあった斎田テントと呼ばれていた斎田工業の流れをくむ繊維製品縫製業の会社である。南樽駅下にある斎田産業とは親戚筋にあたるそうだ。

 社長の斎田義孝さんは、小樽青年会議所、小樽南ロータリークラブの大先輩で、大変お世話になっている。ちなみに私に小樽南ロータリークラブ入会を勧めてくれたのも斎田さんだった。

 斎田さんは、小樽商工会議所副会頭を2期6年務めその間、おたる潮まつりの実行委員長も務めていた。現在も特別顧問として山本会頭を手助けしている。各種公職を挙げたらページが足りなくなってしまうほどだ。

 さて、この「サイダ」であるが10数億の売上額の9割以上を小樽以外からあげているという。業務内容は自衛隊、警察、道庁、JRなどのオーダーユニフォームを作っている会社なのである。

 斎田さんは、小樽の礎を作った加越能商人の末裔。
 「うちのひいじいさんの斎田松太郎が能登の出身で、北前船の船大工として小樽に来たのが明治19年(1886年)だった」

 斎田さんが子どもの頃、おばあさんから事あるごとに
 「能登の斎田家は清和源氏の流れを汲む・・・」と言われ続けていたそうだ。
 「それは由緒ある家系ですね」と言うと、
 「まあ、一応能登の庄屋の出であることは間違いないようだが、庶民にも苗字が許された明治初期、家系図屋なる怪しい商売があり、始祖は必ず清和源氏か桓武平氏になっていたというから、我が家も眉唾と思っているよ」
 と歴史好きの斎田さんは語っていたが、真偽のほどはわからない。

 おじいさんの斎田治三郎さんは、戦後全日本発明協会会長を務めたほどの発明家で、ビルの救助袋を発明したそうだ。ひいおじいさんが、船大工から帆布製作の技術を習得し、その帆布から救助袋へと展開していったというわけなのだ。お父さんの斎田英一さんの代になると数々の実用新案も取得し、現在のサイダの流れになっていく。

 そして現在の斎田義孝さんは、平成8年(1996年)から会長を務める小樽繊維工業会を代表し、平成30年(2018年)小樽市功労者の産業経済部門として表彰された。

(斎藤仁)