満蒙さん

 最上バス通りと最上仲通りの角に地元に愛された満蒙ストアーがあった・・・。その昔は満蒙デパートとの店名の時代もあったようだが、私が最上町で過ごした昭和40年代から50年代には既に、満蒙ストアーとか満蒙スーパーという店名だったようだ。しかし、地元最上町の人たちは親しみを込めて「満蒙さん」と呼んでいた。

 北米スタイルのスーパーマーケットが日本に上陸したのが戦後、そして小樽にもその形態のお店が浸透してきたのが、昭和30年代後半からという。

 市内各地にこの「満蒙さん」のような大型店舗とは言えないが、個人商店より大きなスーパーマーケットが、続々と新規や地場の個人商店からの事業拡大等で出店していった。

 さて、筆者が「満蒙さん」を知った小学校4年生の昭和43年(1968年)頃、今考えると少々深い意味合いの店名であるのだが、小学生にそんな事が理解できるはずもなく、むずかしい漢字のお店だなという認識と、沢本忠雄(俳優)が写るハイニッカの大きな看板が、店の上に掲げられている大きなお店という印象しかなかったのだ・・・。

 松ケ枝中学校での級友との会話を一つ紹介する・・・。
「うちのおばあちゃん、満蒙の事、満蒙デパートって言うんだよな」
「満蒙デパート・・・、あそこはデパートじゃないべさ」
「そんなこと言ったって、ばあちゃん、満蒙デパートって言っているんだもん」
「そういえば、うちのじいちゃんも満蒙デパートって言ってたことあったわ・・・」
「そうか、昔はデパートみたいにいろいろなもの売っていたのかもね・・・」

 前述、満蒙デパートの店名であるが、昭和20年代から30年代にかけて百貨店(デパート)を名乗る商店が小樽市内に10店舗ほどあったという。「満蒙さん」もその一つだったのだと思う。後年、古ぼけて半分消えかかった満蒙百貨店という看板文字を見つけたことがあり、満蒙デパートを確信したことがあった。

 昭和40年代になるとデパートというと、稲穂大通りの大国屋、丸井今井、ニューギンザの三デパートを指していたので、満蒙デパートと称していたのは開店から10年程かなと思う。
 この「満蒙さん」も平成22年(2010年)に閉店し、写真の様な状態となっている。最上町では、小柳ストアー(手宮スーパー最上店)、最上ストアーと同様な形態のお店が先に閉店していった中、最後まで頑張っていたのだが、時代の流れに逆らうことができなくなってしまったようだ。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2018年1月時点の情報に基づいたものです。