南樽市場

 南樽市場は新富町にある勝納川沿いの市場である。住居が階上にある下駄ばき型の現在の建物は、昭和43年(1968年)に建てられている。住ノ江市場、入船市場、手宮市場と次々市場が閉店していく中、地域の台所としての役目を今でもしっかり果たしている。

 この南樽市場が大盛況だった昭和50年(1975年)から2年間ほど、亡母の友人が市場で店舗を構えていた関係もあり、そこの兄妹の家庭教師をしていたことがあった。いただいた金額は忘れたが、夕食付が最高にうれしかった。柔道部の練習後、一週間に一回ここに寄らせていただいていた。

 思えば昭和43年(1968年)12月が、鉄筋コンクリート造4階建南樽市場の完成なので、私が通っていた頃は、築10年未満のまだまだ新しかった頃のことであった。そんな感じはしなかった印象が記憶にあるのだが・・・。

 市場同様、階上の住居も国道側、海側両方に入口があった。階段を上がり目的のお宅に伺うわけである。真ん中に長い共用廊下があり、両側に各戸の玄関扉が並んでいた。そこのお宅は隣同士二軒分を住居としていた。

 そこには、当時まだ珍しかったコンポ型ステレオがあり、私が友だちから借りてきたレコードをカセットテープに録音させてもらう事も度々あった。自分の名誉のため、録音中は決して外部に音を流すことはない。まあ、当り前であるのだが・・・。

 この南樽市場は、昭和初期に建てられた高砂市場を前身としている。高砂市場は戦争により、 廃業を余儀なくされた。しかし、戦後、中央市場や妙見市場と同じように、樺太からの引揚者救済目的に、新市場建設が開始されたということだ。名称も新たに南樽市場として再生したのだ。

 我が家でも、たまに家内と買い物に出かけている。ここの目玉はなんといっても鮮魚だろう。全29店舗のうち9店が鮮魚店。近海で採れる新鮮な魚介類、めずらしい魚が手ごろな値段で各店舗に並んでいる。

 鮮魚店といっても棲み分けしているわけではなく、同じようなものが売られているので、消費者側からは、どこで買うかが大きなポイントになる。それぞれのお店の前に来ると、呼び込みの元気な声が聞こえ、店前から外れるとその声はピタッと聞かれなくなる。暗黙の申し合わせだろうか、紳士協定があるのか、昔から続く商いの実践かと思ったり・・・。

 その日のお客がどこで買おうが、取った取られたなんてケチな事は言ってられないのだろうと思う。南樽市場は、地域の台所としてまだまだ頑張ってもらわなくては困る存在である。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2019年3月時点の情報に基づいたものです。